Tuesday, 13 August 2013

読んだ本、考えた事など 備忘録

ここのところはかなり暑さもそこまで暴力的ではなかったけど、今日から又暑さがぶり返すらしい。実際日中はオフィスにいるからむしろ寒いくらいであるけれど、外にでれば「ここは南国?」と思ってしまうくらい暑い。

こう暑いとアクティビティは専らインドアになってしまう。やっとここに来て今まで読んでいた本も読み終えたから次は何を読もうかと考える事ができてうれしい。

Shantaramはロンドンに初めて行った2010年の2月に買って、それ以来幾度となく読書にチャレンジしてきたが、如何せん900ペ-ジ超の小説を読むのはかなりの勇気がいるし、大学院が始まればやはり学校で必要なものを読まなければいけなかったのでこうして今無事読むことができてうれしいと思っている。


主人公はニュ-ジ-ランドから脱獄し、インドボンベイで住みながら、様々な人に出会い、また多くの波乱を潜り抜ける事によって、彼自身の人生を見つめなおし、力強く生活していく。インド社会の「負」の側面をよく描写しているのはないかとおもうし(未だに行ったことないからこんな事は言えないかもしれない。。。)、またそうした人々が日常的に困難、貧困に直面する中においても力強く、前向きに生きていく様が描かれていて、つい電車の中で感じ入ってしまうことがあった。こうしたものを読むと、人間の人生というものの多様性と時間の流れの中でも変わらない何かというものがあるのではないかと考えさせられてしまう。

作中で主人公は「Love」ということについて多くの考察を加えている。脱獄生活の中で自分が失ったもの、愛するものへの感慨といったもの、また彼の生活の中で新たに生じた愛というものへの真偽について自問自答することが、様々な事柄を経験する中で常に一貫してあるテ-マだったと思う。親友、家族、父親、そして恋人への自分の持つある種複雑な、またどこにおいても完結しない「愛」というものが彼に多くのことを考えさせるのである。

彼の人生と言うのは、まあ小説だから仕方のない事なのだけど、ドラマチックすぎて現実味がないと言えばない。しかしながら彼が描写すること、考察する事は普遍的なものを含んでおり、インドのスラムに住んだり、ギャングになったりした事がなくても引き込まれてしまう。この本は半分は本当の話らしい、というのも筆者はたしか本当のクリミナルだった。ヘロイン中毒、銀行強盗で服役していたが、脱獄しインドに行きつくあたりは本当の話。けど健全なる自叙伝ではなく、創作と事実が交錯し誰も本当のところは分からない、というところにかなり意味があると思う。


いつか本で読んだが、誰でも一冊は本を書くことができる、それは自分についての物語である、らしい。この本はまさにそれを体現するものであると感じる。以前私の大学の教授が言っていたが、人生を学ぶために小説を読む、というのは正しいのではないかと、最近実感することが多い。

ちなみにこのシャンタラムというのは、インドの彼の親友の母親が付けてくれたニックネ-ムで「Man of peace」という意味。是はかなり最初のほう出てくるスト-リ-だけど、彼のおくってきた人生、送るであろう人生とある意味対比する名前であり、この小説にぴったりの名前であると思う。


こうしてインドに関する本を読んでいると自然と色々な事に関心を持つものである。そういえば、最近インドビハ-ル州で給食を食べた児童23人が亡くなる事件があったが、その原因は殺虫剤入りの食事から来た中毒死であったそうだ。しかしそもそもどうしてこうした事件が起こるのかと言えば、インドにおける過剰なまでの殺虫剤、除草剤の使用があげられる。この記事によると、インドにおいては欧米等で禁止されている化学製品が未だに販売されており、そうした化学製品による環境汚染や人体への影響と言うのが後を絶たない。安易に手に入る危険な毒物に対する扱い、認識というのも非常に低く、今回の給食事件のようにカラの殺虫剤の容器に食用油をいれるなどとんでもない事が起きてしまう。また借金苦から多くのインド人農民が殺虫剤や除草剤を飲んで自殺を図ることがかなり多く見られ、社会においてこうした容易に手に入る毒物が深刻な影響を与えていることが見て取れる。


どこの国でもそうなのだけど、こうした化学肥料や殺虫剤等が自然環境に与える影響と言うのはすごいものがあって、インドはその最前線であるとも言える。動物に投与する抗生物質も大きな問題であり、こうした事が簡単に自然環境の組成と言うものを替えてしまう。そうした例を示したのがIndia's vanishing vultures。これは、ハゲワシがインドの町から消えて行く自体を描写したものであり、生態系の崩れがもたらす深刻な影響と言うのを物語っている。ハゲワシというのはインドにおいてある種ごみ処理部隊のような役割を果たしており、肉食である彼らは動物の死骸等をえさにしている。こうした事は日本ではありえないけど、牛がが闊歩する、また家畜保有が高いインドにおいてはこうしたスカベンジャ-がなくてはならないものであるらしい。しかし、家畜に投与されている抗生物質がハゲワシに肝不全のような症状をもたらし、今急激にその個体数が減っているとの事。是がいったい何をもたらすのかと言えば、動物の死骸を食べなくなったハゲワシに変わり野犬の増大、不衛生な環境がもたらす感性症の拡大など多岐にわたる。



大学院ではいつも「緑の革命」に関する事象を勉強させられた。要するに、現代型の化学肥料の大量投入、農薬の使用、遺伝子組み換え種子などが生産性の向上をもたらした一方、そうした新しい技術が自然に多くの変化をもたらし、また生産者が抱える継続的な投資への負担が取り沙汰されるようになった。インドにおいては、農薬の使用が人体に悪影響を与え、また高価な遺伝子組み換え済み種子を毎年買わなければいけないという悪循環が出来上がってしまった。要するに、モンサントなど大きな国際企業が貧しい農民を搾取しているという図式である。遺伝子組み換え種子と言うのはそれに見合った肥料や農薬を必要とするので、結局生産性はあがるかもしれないがそれに伴う投資額も莫大になってしまう。インドの農民みたいにほとんど有機栽培で保存していた種を使用し長年「持続可能性」を実現してきたものにとって、この西欧型の農業モデルというのはその根底から農民のシステムを変えてしまったとも言える。そのためインド農民の農薬を用いた服毒自殺は特に地方においては多く見られる。借金して買った農薬を実際の自殺の道具として用いるとはなんとも皮肉である。

World According to Monsanto




図書館に行きたい、、、、。