Wednesday 19 March 2014

備忘録 アゲイン

昨夜は家で一人ワインをあけてしまったせいで、案の定、暴食してしまった。おかげで一日調子が悪かったが、だいぶ気分も良くなった。こうして元気になってくるとまたいっぱい飲む事を考えたり、こりない性格だとつくづく思う。

備忘録的に、読み終わったものの感想を書いておこう。

まず Ryszard Kapuscinski のAnother Day of LIfeを読み終わった。


アンゴラの内戦についてのルポタージュで、今まで全然知らなかったその内戦の実情と言うものを知った。

なんでも著者は一年以上もアンゴラで、ポルトガルからの独立、それに続く内戦への道筋と言うものを終始みていたので本当に描かれている情景が目に浮かぶようで、朝起きると不思議な感覚に襲われた。自分のいるのは何の事はない日常なのだけど、彼の本を読む事によってあらゆる「非日常」を擬似体験する事が出来たのはやはり彼のジャーナリストとしての力量なのだと思う。

著者が作中で述べているが、アンゴラはポルトガルの他の植民地、例えばブラジルと違って、その最悪の影響を受けていたが故に、奴隷貿易による人口減少や貧困などがより顕著であり、そうした背景が内戦の土壌を形成したようだ。他の植民地でのプランテーションに必要な労働力はアンゴラから奴隷船にのって運ばれた人々であり、今でも多く当時の奴隷として運ばれてきたアンゴラ人の子孫が中南米諸国に拡散しているらしい。実際この本を読むまで、アンゴラと他の国例えばホンジュラスなどの関係性を知らなかった。ポルトガルはアンゴラにおいて14世紀以降ずっと「戦争」をしていたとの事であり、それが結局アンゴラ人の労働力の搾取やインフラ建設の土台をなくしてしまった事につながっている、と述べられている。

著者が前線に赴いた時にガイドとしてついてきた女性兵士の話は泣ける。ポルトガル人ジャーナリストクルーと彼は若くて可愛いこの兵士と車で前線に行くまでの時間を過ごす。戦場で見る「美」というものが良く描写されていると思う。たしかmen create the beauty of a womanといった文があった。結局彼女は彼等を前線で見送った直後に敵の攻撃にあって死んでしまう。是を聞いた著者は前線に行きたいと言った自分に罪の意識を感じるが又一方で戦場での命の脆弱性を知る。

彼が冒頭で述べているように、終始彼の個人的な経験が「ひとりでいること」のなかで語られるところにこの本の良さがあると思う。出会う人間との彼との関係性の中で、戦場における人間性と言うものを見る事が出来る。

やっと読み終わったのは是。The Emperor


これは彼の他の作品を読まないと良く理解出来ないものだと思った。

要するになんで彼がこの本で使われている手法をとったのかと言う事が、他の作品を読むとその前提が分かってくるのでこの本の魅力が十分に理解されうる。

エチオピア最後の皇帝が退位するまでの社会の動乱や皇帝自身の生活などを、当時の側近等に語らせる構成でまとめられている。最初は少し緩慢な印象を受けたが、次第に「革命」前夜といったような雰囲気が漂い始める。

是を読むとエチオピア皇帝が排斥され社会主義的な軍やその後に続く政治などは時流からいって必然であったのだと思うが、やはり「象徴」としての皇帝を失ったのは今に続くエチオピアにとって非常にマイナスである気がしてならない。こういったものは一度失われるともう二度と基に戻らないわけで、当時冷戦の流れの中でこうした文化的、精神的な「権威」を失ってしまった事は大きな痛手であると思う。こうして考えて見ると、冷戦の影響は実際アフリカ諸国で色濃く見られる。ベトナムやアフガンなどばかりが語られるが実際に東西冷戦の構図またより長期にわたる影響が見られるのはアフリカ諸国だと感じる。

皇帝最後の日々は非常に寂しいものがある。しかしハイルセラシー皇帝はある意味その皇帝としての威厳や尊厳というものを最後まで失っていないと感じられる。やはり「権力」と「権威」は切り離されるべきなのではないのだろうか。全て彼の手中に納まるわけが最初からなかったのではあるが、現代社会へと突入する世界の中で彼の知っている統治のスタイルが時代に取り残されていく様になんとなく寂寥感を感じてしまう。

とりあえず備忘録までに。

Friday 14 March 2014

読んだ本等

日々春に向かっていると感じる。


スーパーに行けば菜の花やその他春野菜が出てきているし、春を感じずにはいられない。

私自身もうこの冬の寒さにはうんざりしているが、冬しか食べられないたらの白子とか魚卵系が魚屋から姿を消すことを考えただけで、とても寂しい気持ちになる。特に今年は白子のムニエルにはまり、一時期は毎日食べていたのでプリン体の過剰摂取を気にしていた。

バルサミコソースとの相性は抜群。


と言う事で、もうすぐ確定申告業務も終わるし再びこの会計事務所にも平穏な日々が訪れるだろうと思っている。この確定申告の忙しい時期の雰囲気を感じその中で多少まかされる仕事も多数あったので色々と勉強になった。こうしてみると、多くの人が「フリーランス」で生きているのだと実感させられる。給与取得者も良いけど早く個人事業やその現職の仕事から離れた分野で色々とやってみたいと常に感じる。まあ肝心のやるべき事を見つけるのが一番最初だね。

以前読み終わったThe  shadow of the sunの著者Ryszard Kapuscinskiの本を最近立て続けに読んでいる。手に入る限りの彼の作品を注文してしまったので、今は完全に彼の世界観の中にどっぷりつってしまっている。

Travels with Herodotus は彼のジャーナリストとしての原点を見ることが出来る気がして読んで良かったと思う。


ポーランドに生まれて貧困を経験し、また東西冷戦全盛の時に閉鎖的な社会で青春を過ごした彼にとっては、「他者」「他文化」というものへの興味関心が原動力だったのだとわかる。最初にインドに行って始めて他の国、人間と出会いまた言語の違いや文化の違いなど全てが新鮮で刺激的だったようだ。当時まだ英語が得意じゃない中で色々変なことにも出くわしながら、一人でいるときは英語の勉強のために色々と本を読み出すわけだけど、会社の上司がくれたヘロドトスの「歴史」を時間を見つけては読み始める。

要するにこの本は、著者がジャーナリストとして様々なクーデターや内戦をレポートしながら世界各地を旅する自身と、旅をして色々な人間に会い、他文化を経験したヘロドトスを重ね合わせながら対話するという構成で、彼のジャーナリストとしてのスタイルや哲学的なものの基盤になっていると感じる。

彼が所謂途上国で多くの貧困を目にしても、それほどショックを受けたりせず、その中で真実を模索しようと出来たのも、彼の生い立ちが関係していると思う。彼の戦争中靴を買うお金がなくて石鹸を売ってそのお金を捻出しようとしたエピソードがなける。それまで寒い中でも裸足で生活せざるを得なかった自分の幼少の思い出と、アフリカやインドであった裸足の子供たち、人々を重ね合わせているシーンがあって、このような原体験が他者とオープンに対話できた彼の性格を支えていたように感じる。

自分にとって他者とは何物であるのかということがこの著作の中にたくさん出てくる。他者を通して自分と言うものを知る、というのが彼の作品に徹底して見られる特徴であると思う。

The Otherという彼の講演集を読んだ。短いけど是を読むと多くの作品(まだ3冊しか読んでない。。。)の色々なシーンが良く理解できる。


エマニュエル・レビナスの思想哲学が彼の他者への理解、また見方を裏付けているのだと感じる。

西洋にとって他者とは伝統的にEastであり、またそれを知り利益を得ようとしたのが西洋なわけだけど、又同時に他者を知ろうという積極的な態度、知識体系を作ったのも西洋であるから一概に悪いとも言えないのかもしれない。しかしながら、奴隷貿易や植民地支配などやはりほとんど消すことの出来ない影響を残したのは事実であるからなんとも言えない。

著者の立場は私からすると面白い。Westの人間であるのだけどポーランドと言う歴史に翻弄される場所で育った彼からすると、簡単に自己を西側の人間であるというだけのアイデンティティではないのだと思う。だから、アフリカやラテンアメリカ、アジアなどでで彼が他者に出会うことがまた違った意味合いを持っていたのだと感じられる。

人類学の発展はその「他者」への理解がその根幹であるし、彼もそれを語っている。ポーランド人の人類学者の言葉を引用して[to judge, we need to be there]、実際に現場に行って他者の中に交わる事の重要性を指摘している。それは彼の基本的なジャーナリストとしてのスタンスであるし、それがある意味彼の思想哲学の根本であったような気がしてならない。

最近は専らアフリカ強化月間が続いているが色々ともっと読んでいきたいと思っている。

それにしてもつかれた。明日は寝坊するぞ、、、。