Thursday, 12 September 2013

会社を休んで考えた事 等

就職して働き始めるとそれはそれで色々な問題や悩みが浮上してくるものだと最近感じるようになった。今日は実際あまり体調が優れなかったので病欠という事で会社を休んでみている訳だけど、真剣に転職活動をしようと思っている。実際あまり大きい会社でない上に、上司による所謂「セクハラ」の様なものを受けており、実際会社でその人の顔を見たり、話を聞くだけでも正直最近は耐えられなくなっている自分が要る事に気づく。結局無理していた何かが自分の中で頂点に達してしまったようである。まあ早急に転職しなくてはと考える今日この頃である。


そんな日常の中でも楽しみというのは有る訳で、実際その点については完全に充実した日々を送っていると思う。

昨日はニュージーランド人の友達と地元の駅で会い、酒を中心とした酒晴(サカバルと読む)で夕食を食べた。

ワイングラスで日本酒が出てくるのと、つまみも結構美味しいので友達が練馬に来たときはたまに使う。なんと言ってもスタッフが若くて元気が有るからいい。ああいった感じは、自分の中では三鷹とか吉祥寺とか中央線沿線の感じがする。だから練馬にもついにこうした流れが来たか、と変な感慨に浸ったりしている。実際日本に帰ってきてから意外と練馬とか地元が変わってきており住みやすくなったと感じている。やはり大江戸線や西武線と副都心線合体等のせいで交通の便がぐっと良くなっているせいも有るだろう。

昨日は友達の彼が売っている蜂蜜をくれた。今まで5種類くらいもらってるが今回は一番私の好きな味のやつをもらった。ニュージーランド産天然蜂蜜で最近は色々お客さんを増やしているみたいで、そう言った話を聞くと私も嬉しくなる。仕事を始める前は一緒に大井埠頭に行って積み荷を手伝ったりしたっけ。

ちなみに彼の最近のお客さんは成城石井、安全すたいる、等かなり有名なところが多い。特にこの安全すたいるという会社は通販で天然食品を売っているようでかなりポテンシャルが高いお客さんであるといえる。


今回はこれをもらったのだが、お店で急遽試食会が始まりそれをお店に寄付する事になった。結果的に彼はオーダーを結構その場でもらっていたので、商売何が有るかわからないものである。

今回即時購入を決めたお客さんはなんと蜂蜜を美容液代わりに使っているらしい。素晴らしくお肌が綺麗な熟女だったから私も蜂蜜を顔に塗ってみようかしら?!

先週の日曜日は池袋で用事があり色々飲んだり食べたりお金を使ってしまった。まずランチは東京藝術劇場のなかにあるベルギービールカフェ ベル・オーブ東京藝術劇場にいって、よく覚えていないけどフリッツとベルギービールのでかいのを飲んだ。



ファット!

かなり退廃的日曜日である。しかし昼ビールのこの背徳感がたまらない。まああまり好きな味じゃないビールだったけどオープンスペースのこのレストランは開放感があって好きだ。特に日曜の昼あたりのリラックスした雰囲気がいい。

その後は腹ごなしもかねて鬼子母神神社に行って来た。



この鬼子母神の伝説って結構面白い。要するに子宝とかそう言ったご利益が有るらしい。実際この鬼子母神って子供を食べちゃうような女性であったみたいだけど、仏教に改宗して子孫繁栄等の神様になったよう。もともとはイランの伝説から来ているみたいだけど、彼女が仏陀と出会う事によって子供のある意味守護神のようなものになったとの事。仏教流布のため、また伝説が生まれた当時の社会状況を考えると幼児の死亡率も高く医療もレベルも低い中で子供が生きる事そのものが大きな意味を持ったと考えられる。

実際この鬼子母神神社は非常に雰囲気がいいから私は心が落ち着くので好きだ。池袋の喧噪を完全に忘れる事が出来るいい場所だと思う。

その後はお決まりのルート。池袋ジュンク堂へ。そこで買った本がこれ。


これは昔ヴィレッジバンガードで立ち読みした事が有るが、英語で読むのは初めて のThe Invention of Solitude Portrait of an Invisible manは彼の父親との関係、一人の男性が有するある種絶対的な「孤独」「空間」というものに焦点が当てられている。邦訳だと「孤独の発明」となっているけどこのSolitudeという言葉には「孤独」という言葉が持たないニュアンスを含んでいると感じる。こういう時に「ロストイントランスレーション」だなと感じてしまう。ポールオースターはなぜか大学時代から読んでいる作家の一人。でも最近は英語強化年間に突入しているので原点を当たる事に。

これを読んでいる時私は自分の父親の事を考えざるを得なかった。急死してもうすぐ丸四年である。私は一生彼の残した絶対的に「理解」し得ない何かを探し続けるのだと感じているし、実際自分の最近の読書の傾向としてはそうしたもの知らずのうちに求めている気がしてならない。

この本の中で、父親の死後筆者は様々な父親の「Solitude」に触れる。亡くなってしまった以上物理的な接触は無くなってしまう訳だけど、実際その物理的な存在が無くなったからこそ理解出来る存在というものがある。彼の父親にとって「Death was a way out, the only legitimate escape」だったのだけど、残されたものにとってはそうはいかない。実際私の父親は殆ど完璧とも言える最期を迎えた、苦しまずに、それも軽井沢というロケーションで。でも我々家族が如何にトラウマを抱える事になったかかれは知らない。

結局筆者は「Impossible, I realize, to enter another's solitude」だと言っているが、私もその点は同意する事この上ない。「不可能な事」をしようと思うその労力が時に大きな苦悩を呼ぶのだと感じる。

結局立ち読みのつもりが買ってしまった。いつものパターンである。


そう、今は英語強化年間開催中なのであって、時間が有ればなるべく読むようにしている。最近読み終わった本の一つはこれ。


これは例のジャーナリストの友達が進めていたので読んだ。
私が読んで最初に思った事は徹底した「英国主義」の描写である。バトラーなんていう職業も英国の社会システムを考えるとここでしか存在しないモノだと感じる。実際イシグロも、「大陸の人間にはできない仕事」だと言っている。

この本の美しさは、過ぎ去った時代への郷愁とともに理想を抱く人間達の描写、また全体に見える「subtleness」といものが彼の日本人としての感性を見て取れるところだと思う。流石ブッカー賞受賞作だけあった文章は美しい(らしい、、。)。

しかし読んでいて主人公の言動一つ一つが非常にもどかしく感じられ、まあそこがこの本の魅力なのでは有るが、やきもきしながら読んだ。要するに、徹底した職業意識、またそこに彼が感じている美学というものがある種中心になっている訳なんだけど、それが二度と戻らない時代を象徴しているかのようで読者に与えるインパクトは大きい。

イシグロの作品は他に2作程読んでいるが、他は駄作に思えてならない。特にNever let me goは「は?」って感じだった。まああれがいいという人も多いけど私には良さがわからなかったな。

「二度と戻らない時代」といえば最近読んだこれもそれを強く感じさせる。ジョージオーウェルのカタロニア讃歌である。Homage to Catalonia 

Oh Spain! ここで描かれているスペイン人、スペインのオーウェルによる描写はかなり私が実際にスペインで見たものとオーバーラップする。大義を抱いてスペイン内戦に参戦したオーウェルが体験するのは、全く想像とはかけ離れた世界。武器の調達もままならない無政府主義者の軍隊、シラミと格闘するキャンプ、等々、読んでいて何カ所も笑ってしまう部分があった。文章から人間性が見えるとはこの事だと思う。私はこの読書を通じてオーウェルのもっとファンになってしまった。昔ファイナンシャルタイムズで「我々の時代ははどうしてオーウェルを有しないか」という事をのせていたけど、政治評論や社会論を彼のように表す人はいない、という様な事が書いてあったと記憶している。要するに彼もまた「時代の産物」なのかもしれない。

スペイン内戦には世界の文豪や様々な人が実際に戦火を見ており、この戦争が思想的、社会的に持った意味の大きさを知る。私としては、混沌とした時代、皆が様々な社会システムに対して理想を持っていたわけで、ファシズムと戦ったり、共産主義を標榜してみたりとある種「自由」というものがあった、と理解している。今は社会が成熟しそうした「自由」を謳歌する事が出来ない。1930年代等様々な戦争をとおして悲しみ、苦悩を経験はしたけど、人々には「希望」や「理想」あったのだと感じる。

忘れないうちに、これも先週読み終わった本の一つ。A Greedy Man in a Hungry World: How (almost) everything you thought you knew about food is wrong


これはロンドンに住んだ事のある人間だったら絶対色々と笑ってしまう本だと思う。彼はレストラン評論家としても有名だけど、実際はジャーナリストで色々なトピックをカバーしているらしい。

内容としてはあまり満足のいくものではなかったけど読んでいて楽しかった。まあこの手の本はもう結構読んでいるから新しい知識の習得というものは無かったけど、イギリスやその他ヨーロッパ諸国で跋扈する「サステナビリティ」に対するある種信仰心のようなものに疑問を投げかけている訳でそう言う意味では一読に値すると感じる。個人的な感想としては、尻切れで終わっている感が否めない。

はあ。なんかつかれてしまった、、、、。



Monday, 2 September 2013

最近行った神社等

この数週間、色々な神社等に行って改めてニホンの神道、神社の中にある種安らぎと言うか安寧を見つける事多々あった。

あまり関係ないかもしれないが、私は何か大切な事があると地元の氷川神社に行く。なんと言うか、行くと落ち着くし自分の心と対話できるような気がして小さい時からよく訪れている。

氷川神社は関東に独自のものらしいが、要するに祭っている神はスサノオノミコトで個人的に信奉する神様のひとつである。私の感覚だと武神に近いところがあり、スサノオノミコトは様々な神社で祭られているのでニホンの神話の中でもかなり有名で重要な神であると感じる。

何かの本で読んだが、私の姓名や誕生日から牛頭天王とは深い関係があり、その神を慕えば慕うほどある種守護を与えてもらえる、との事である。牛頭天王はあらぶる神であるがその霊力はきわめて強く、ニホンの神仏混合のなかでスサノオノミコトと結びついていると言うことらしい。私はその記述を読んで以降、この牛頭天王を祭っている祇園信仰等に深い関心を持っている。

それはさておき、最近氷川神社を中心に好きな神社をめぐっているなかで東京を再発見する事たくさんありとても面白かった。


まず最初に大宮の氷川神社に気温が異常に高い日曜日にお参りした。ここは幼いころから家族でよく訪れていたのだが、参道をきちんと歩いたのは今回が初めてで、長く鄙びた感じのする参道を歩くのはすばらしく気持ちのよいことであった。

中も広く他の東京の大きな神社と違って、あまり混んでいないし庭園もあり非常にゆっくりとした時間が流れているという印象で、私はこのようなところに親近感と言うか神社としての魅力があると感じている。

適当な写真が見つからないので、、、。




こちらで神職として研修を受けていた某知人と合流し、大宮駅近くの大衆居酒屋で生ビ-ルでのどを潤した。よい日曜日の過ごし方である。


先週の土曜日は赤坂を中心とした神社を歩いた。

まず豊川稲荷東京別院から。

ここは不思議なんだけど、曹洞宗のお寺なんですよね。稲荷と言うと稲荷神社と自動的に脳内変換されてしまうけど、ここで祭っているのは豊川ダ枳尼眞天 (とよかわだきにしんてん)であり
いわゆるお稲荷様ではないらしい。通称豊川稲荷で通っているけどここらへんの歴史は非常に興味深い。


ここは本殿というか中に入って正座してお参りできるので落ち着いて拝むことができてとてもよいと思う。場所柄多くの企業や芸能関係の人が参拝すると聞くがどうなのだろう。

次は山王日枝神社。御祭神は大山咋神(おほやまくひのかみ)で系譜はこのような関係性らしい。(日枝神社サイトより)

地主神であり、そのご利益は産業の発展など多岐にわたる。江戸時代からは江戸城の鎮守として篤い崇敬を徳川家やその他大名等から得ていたらしい。現在においても赤坂のど真ん中で立地がすばらしく、存在感がすごい。




エレベ-タ-で本殿までいけるのでとても便利。高台の頂上に本殿があるのだけど、空の中にあるような印象を受ける神社で心が洗われるようである。


節分の時の豆まき大会は豪勢で懸賞物があったり、角界の著名人が豆を投げたりして一見の価値はあると思う。ちなみに私の姉はこの豆まきでプラズマクラスタ-を当てた。

真夏の神社めぐりは体力勝負。赤坂のイタリアンでビ-ル、プロセコを飲んで水分補給。ここらへんは歓楽街だから色々と面白い店があって楽しい。今度は夜に来て本格的に呑みたい。


次は赤坂氷川神社。東京ミッドタウンや各国大使館がひしめく六本木、赤坂の中にあるのだけど全く派手なところがなく落ち着いていて、好きな神社のひとつである。


夏の暑い日に蝉時雨の中でこの神社にいれる事はある意味心地よかったと思う。しかしながらあまりに暑過ぎて色々と感慨に浸ったりする事はできなかった。急いでミッドタウンへ。都会の「オアシス」である。

神社めぐりをしながら歩いた事のない道を歩いたり、新しいカフェや店を見つけたりするのが楽しい。最近は又しっかり神道や神話について学びたい気がしてきたので時間を見つけて神社めぐりをしながら理解を深めて行きたい。

関西に行きたいな、、、、。