Wednesday, 14 May 2014

読んだ本あれこれ

忘れないうちに最近読んだり見聞きしたものを書いておこう。

昨年以来アフリカ、エチオピア関係の本は見るようにしているが、この本は友達から勧められた。

このシェフの事は以前からおぼろげながら知っていたが、今回この本を読むにあたって彼の生い立ちや、幼少期からの文化的接触が今日の彼の成功を支えているのだとしる。

かの国に行った時、コーディネーターの人がエチオピア生まれなのだけどスウェーデン育ちだった事を思い出す。この本によれば彼もそうしたエチオピアから孤児としてスウェーデンにおくられた子供の一人であるらしい。実の母親は残念ながら結核により亡くなっているようだが、彼はいつも母親に会える方法を知っているという。それはエチオピアのベルベレというスパイスであり、その匂いを感じ料理する事によって遠い場所にいる母親の事を近くに感じるという。ちなみにベルベレはこんな感じ。



ただ辛いという感じでもなく、色々複雑な味がするから不思議だ。エチオピアでは基本的にこのスパイスミックスが大量に使われて、様々な肉や野菜の煮込み料理が作られているらしい。某国で仕入れてきたベルベレで何回もチキンの煮込みドーロワットを作ったが、結構好評だった。というのも大量にタマネギを使っているから、スパイスの辛みがタマネギで中和される感じで非常に食べやすい。

さて。

先程のシェフであるが、所謂「セレブリティーシェフ」として有名らしい。実際彼がそこまで有名だった事は知らなかったが、何となく調べた感じだと、あまりエチオピア料理と関係がなさそうな気がしなくも無い。

料理と言えば、最近読んだ黒田勝弘氏の「韓国を食べる」にはとても笑わせて頂いた。



韓国に20年以上記者として生活した、著者の韓国の食べ物を中心とした韓国文化、人の観察が非常に興味深く面白かった。

韓国料理と言えば、プルコギ、ビビンパ、焼き肉、最近だとサムギョプサル位しか思い出せない私であったが(もちろんキムチもね。)、この本を読んで韓国の食文化というものを色々な角度で知る事が出来て面白かった。

日本に近い位置に有りながら肉食が好まれる背景としては、モンゴル帝国の影響が大きいのだという。筆者によれば、韓国料理の神髄とは「肉のスープ」であり、焼き肉等は比較的新しく根付いた文化なのだと言う。肉のスープというのは色々骨や身を煮て、そして家族や共同体で食べるものであり、こうした「肉のスープ」の匂いを筆者は語学留学時の下宿生活か如実に感じているようだ。

著者の指摘している韓国人の「精力信仰」というのも面白い。韓国は儒教の国で現世利益的な思考が共有されており、この精力信仰というのもこの現世を精一杯生きる事への現れであるようだ。韓国の「犬食」というのもこの「精力信仰」からくるものであり、多くの人が考えているような日常食では決してない。こうした食文化は往々にして諸外国から文句を言われるというのは決まっているが、ある種日本の捕鯨文化にかんしても同じ事が言え、興味深い。だいたい、ある特定の食文化を否定されるのは人々のナショナリズムを喚起する契機となることを西洋人は知っていた方がいい気がする。食文化に「理性」「理由」を求めるとややこしい事になるのは、もう周知の事実であるのではないだろうか。

私はこの本を読むまでは、黒田勝弘氏の事を誤解していたようだ。産經新聞だし、だいたい「嫌韓」の人だと思っていたが、彼の韓国人の観察、描写にはどことなく優しさ、愛すら感じる。この本を読んでいると、こんな風に面白く、また鋭く文章が書けるようになればなと思う。

食べ物の本でここ数年ずっと読んでいた人と言えば小泉武夫氏のそれであろう。

読んだ本はもう結構あり、思い出せないものもある。例えば、






等等、多数ある。

基本的には発酵学の権威であるため、発酵食品に関する内容が多いが、小泉氏の食に対する愛情、情熱といったものが作中にあふれている。やはり強靭な胃袋を持った「発酵仮面」は尊敬に値するし、文章も日経の夕刊に連載されているもの等は本当に読みやすく、堅い日経新聞のオアシスのような存在だと、購読時はよく感じたものだ。

ただ、一人の作者の本を読み続ける事によって、同じ話に出くわす事が多いのが難点だ。やはり先生のように数多くの著作をもつ人は話がオーバーラップしてしまうのは仕方のない事だろう。私は先生の本を読む度、「ああ、私も先生のように沢山、そして色々な日本の、世界の食にであってみたいなあ」という気持ちを持ってしまう。

やはり食の権威といえば、辻静雄先生の本を外す訳にはいかない。

辻先生はかの有名は辻調を一流の調理学校にした方であり、また日本のフランス料理のレベル、また人々の認識を形成する上でなくてはならない人である。

「舌の世界史」から始まり、






等、今何を読んだか思い出せないものもある。ただ、辻先生の文章は学者のそれに近く、いやむしろ学者でありまたジャーナリストの視点も見せてくれる非常に印象深いものであると感じる。実際、奥様と結婚されるまで新聞記者として活躍されていたという事なので、ジャーナリストである事は間違いがない。それにフランス語の深い知識や、その探究心等は日夜フランス料理、またワインの研究をされたその事実から明らかである。

私は「舌の世界史」が改めて読み返してみると素晴らしいなと感じるし、氏が経験された時代、またレストラン等に思いを巡らせてしまう。氏が、今現在世界で流行っている、例えば「エルブリ」や「ノマ」等の料理を食べたらどのように批評されるだろう。想像してしまう。

食を文学者として面白く描写されているのは池波正太郎先生だと思う。「散歩の時に何か食べたくなって」は有名だが、昨年読んだ


「食卓の情景」はとてもよかった。氏が日常召し上がったものを始め、家庭での事等食卓を巡る「情景」を描いたもので心に強く残る本だったとおもう。氏の幼少期の好んだ食べ物の話や、食と結びついて思いだされる人々の生き様、喜びというものが目の前に浮かぶようで、時に涙を誘う。こうしてみると、氏の時代から色々失われた食文化と言うようなものが有るような気がしてならない。まあ、私は下町の人間ではないから共有出来ない、もしくは想像のできない文化というものも有るのかもしれないが。

つい食に関する本を手に取ってしまう癖は治らないようだ。

今夜は何を食べよう。

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