Wednesday, 20 August 2014

盛夏の昼下がり

こう熱いと全てが億劫になる。

夏安居というよりも、ただ怠慢なだけかもしれない。まあ何れにしてもこう火がかんかん照りになっている中で歩くのは些か自殺行為にも思える。

先週の終戦記念日には靖国にいった。思ったより人がいなかったように思う。平日だから仕方がない事かもしれないが、ある種平穏な靖国という感じがして変な安心感を得た。

地下鉄駅から出ると、法輪功の人々が中国共産党を批判するビラを撒いてみたり、またウルグイ差別に関する集会、また新しい教科書を作る会がなにやら署名活動をしたりと、そこらへんは例年と変わらない。

ただ粛々と参拝にきた人々が目立った。大きな声を上げるものもいないし、変な熱気というものも感じられなかった。

私は終戦記念日に靖国にいっても参拝の列には並ばない。何だか心苦しい感じがするからだ。ただ、参拝する人、話に夢中な人、一生懸命一人で何かを考えている人をみているのが好きなのかもしれない。

靖国を後にして、雑司ヶ谷霊園に向かった。お盆期間中にお参りをすませなくてはと思っていたから、丁度よかった。ただ、霊園は駅から最低10分は歩かなければならず、こう熱いと少し億劫に感じられた。

池袋で氷入りの水を用意し、雑司ヶ谷霊園に向かって歩き始めた。そのうちに、風が出てきて幾分楽になったのを感じた。雑司ヶ谷は木々もあるし、適度に木陰がある。また、木に風が当たる音は何ともいえなくいい。こうしたところが私が雑司ヶ谷霊園が好きな理由である。

雑司ヶ谷霊園には多くの人が眠っているが、一番有名なのは夏目漱石だと思う。

今年の夏は朝日新聞で『こころ』が連載されていると聞いた。先週買った文芸春秋の中に、佐藤優が『こころ』の解説をしており、その旨の記載があった。


日本人だったら絶対に読むこの小説を、また読んでみる気になった。
この小説は過去に三回程読んでいるが、小学校、中学、高校とそれぞれ違う感慨を持ったように記憶している。

古本屋で50円でかった『こころ』を読み始めると、以前では感じられなかった多くの事を感じられるようになっている事に驚く。

佐藤優はこの小説には清教徒的な世界観が見て取れるという。「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉がKを自殺に追いやったのは、こうしたピューリタン的な思想を彼が有していたからであり、また先生自身も明治天皇崩御とともに自害する訳だが、彼も言葉によって殺される、とある。

こうして読んでみると、文章のリズム、内容、構成ともに非常に現代的だったのなと感じる。昔は、難解な小説のように思えたが、かなり読みやすく書かれているものであるという事を実感する。

彼の講演集を借りてきた。


これは私にとって非常に影響のある本であり、高校のときに意味を十分に理解していた訳ではないけど深く考えに陥った事を覚えている。

漱石の「自己本位」という言葉が、イギリス留学を終えて日本で様々な事を経験せざるを得ない現在の私に非常なる響きをもって訴えてくる。

「道楽と職業」という講演も意味深いと思った。

細分化する「職業」を持つ現代人が、如何に自我と他を理解して生きていくかを書いているが、私にとって、漱石の素直な人生に対する謙虚さだったり社会に対する理解を感じられるものであり、とても印象深い。

『こころ』の中で、雑司ヶ谷霊園の描写がある。もしかしたら私も漱石と同じ場所を歩いているのではないかという想像は、こう暑い夏を何となく快いものにしてくれる大切なものである。



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