Monday 1 July 2013

半分寝た頭で考えた事

以前マイケル・ポランの新著Cooked : A natural history of transformationを読んだ話を書いた気がするが、最近それに影響されて清水買い(私の姉等は衝動買いする、高額なものを買うことをこう表現している。一般的?)してしまった本が是、The Art of Fermentation。この本はポランの著作にも出て来るけど、実際きっかけは去年アメリカ旅行した時に立ち寄ったワイナリ-兼ファ-ムを訪れた時に発見したもので、ずっとほしいと思っていた。誕生日に自分へのご褒美と言う事で買ったわけだけど、何せアメリカから頼んだから来るのに数週間かかった。まだ中身をちゃんと読むにいたってないが、辞書的にゆっくりよんでいきたいと思っている。


最近は以前買った本を消化する日日であるけど、読み終わった本の中で色々納得して読んだのはJulie Guthmanの著作で、その後彼女の名前で論文を数本読んだけれど非常に興味深かった。カリフォルニア大学サンタクル-ズの教授で色々とオルタナティブフ-ドムーブメントに関して論文書いていて、大学院で関連する分野を勉強していた私としてはまさにどんぴしゃの内容。私の解釈としては、現在アメリカ等で見られる肥満問題を単純に貧困問題や経済格差の問題、民族問題に落とし込むのではなく、もっと大きな枠の中で現在のファ-ストフ-ド経済がいかに形成され、また行き場のいなくなった資本主義が今度は人間の体というものにその拡大の原理を適応させていくという視点なしには、世界的潮流を理解する事はできないと、言うものである。彼女の著書でカリフォルニアにおけるオーガニックフ-ドムーブメントに関する本も面白そうであるが、関連する論文を読むことができるので購入はしない。要するに、実際に「オルタナティブ」をこうした資本主義社会の中で本当に獲得できるのかと言うことが、彼女の論文等が与える命題であって非常に私としては懐疑的、というか難しい問題であると思う。基本的に現在の社会構造が純粋なる理念の追求としてのそういった運動を可能にさせるとは到底思えないのであって、私個人としては結局「自己実現」「自己満足」「自己プロデュ-ス」の域をでれないのではないかと考えている。

彼女の短い文章で面白かったのがCommentary on teaching food: Why I am fed up with Michael Pollan et al..私が抱いてきたポランや現代の「賢い」フ-ディ-文化に関する疑問をかなり正直にまた学術的に明らかにしているもので、読んでいて思わず、まじわかるわ-、と思ってしまった。ジャ-ナリストだからしょうがないかもしれないが彼の書いてる事って、結局彼個人の個人的、懐古主義的な発言に過ぎないのであって色々な学者や思想家の意見や論理の羅列でしかない気がしてきてしまった。その点、学者の文章は引用がはっきりしているのでこちらとしては読みやすい。私がネイティブ英語話者だったら違うのかもしれないけど、最近彼の著書に関する自分の評価は下がってきていることは否めない。結局彼が提唱するように倫理的、知的フ-ディ-になっても、誰も何も救わない気がするのである。ただ現実に見る社会格差や社会問題を知的な消費主義を実行する事によって何も変えることができないのではないかと、最近やや現実的な視点を身に付けつつある自分がいる事に気がつく。


そうした事を背景に日本を考えてみると確かに日本におけるファ-マ-ズマーケットは所詮海外の模倣でしかないと思うが、その反面新たにそうした輸入の概念や運動に頼るまでもなく日本のロ-カリズムや食に対する安全意識と言ったものが市民生活に根ざしている事を実感する。私は週に一回は必ず行っている地産マルシェは本当に面白いシステムであると感じるし、あそこに行って面白い、また新鮮な野菜に出会った時のわくわく感ったらない。要するに小規模、また中堅の農家のネットワ-クをつくり流通システムを確立する事によって消費者に安価で新鮮な野菜を提供するところにその意義があると思う。たまにイギリスでよく目にしていた野菜、スイスチャ-ドやエルサレムア-ティチョ-クをみると反射的にかごにいれてしまう。いつも同じものがあるわけではなく、季節や農家の出荷状況で商品が変わるところに私は強く魅力を感じている。


昨晩眠れなかったせいで書いてる事も脈絡がないものになってしまった。睡眠は大切ですね、、、。




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