Thursday, 3 October 2013

秋の昼下がりに

天気は徐々に秋らしきなって行く。いたるところで秋を感じるこの日常と言うのはすばらしいと思うし、こうした季節感を尊ぶという事は日本人に内在的にあるものなのかもしれない。先月の満月はあまりに美しかったし、帰宅途中茂みから聞こえてくる鈴虫の声も秋を感じさせてならない。スーパーに行けば私の代好きな柿が売っているし、栗も徐々に目にするようになった。食べ物から季節を感じると言うのはとても風情があって素敵だし、何よりも舌、胃袋ともに季節を感じ物理的に満足する事は大切なことだと思う。


季節感と言えば、身近に感じるところでやはり食べ物があると思うけど、今日読み終わった本は私がロンドン在住中から抱いていた疑問にたいして多く答えるものであったので非常に勉強になった。French Beans and Food Scares: Culture and Commerce in an Anxious Ageは現代の食料流通をめぐるある種文化比較を特定の地域、文化圏、また食料品に的を絞って考察している本で、私にとり非常に深く現代の食品流通がいかに文化的、歴史的な要素によって規定付けられているかと言う事を知る意味でためになった。


筆者は帝国主義時代における二大勢力、フランス、イギリスの現代のコマースのあり方がどのように違った発展を遂げて今の消費主義社会に答えてているかと言う事を論じている。

フランスの国家形成が強く地方都市、農民の発展に重点が置かれていたという歴史的事実と、それが旧植民地アフリカ諸国における経済発展を主に農民を抱きこむ形で行こなわれたという事に寄与したと言う事実は非常に重要なポイントであると思う。そうした、農民、ある意味プロフェッショナルな技術、知識を持つものに対するフランス文化の尊敬や自負心と言うもの自体が(metis)、対人間性を重視したコモディティネットワークを可能にしたと言うことであるらしい。未だにフランスのマーケットではそいうした特定の食材に対する深い知識を持つ店主などが多くの尊敬を集めるそうだ。こうしたpeasant-based rural developmentそのものが、フランスの食文化やある種「匠」の文化を支える根本にあると言うことである。

そうした伝統が今のフランスにおける「エキゾチックな農産物」の流通ネットワークに強く見られるとの事。たとえば旧植民地であるブルキナファソなどはフランスに良質なインゲン豆を輸入しているとの事だが、その形態はある種old-fashioned commodity networkである側面が強く、人間関係や信頼と言ったものが生産から輸送にいたるまで大きな意味を持っている。今ではスーパーなども参戦しそうした側面が薄れてきてはいるものの、ひとつフランス語圏の食糧生産や物流を理解する上で大切なスコープとなる。こういる地方、農民の発展が国家形成の中で重要な意味を持ったと言うことは、直接的に旧植民地生産国におけるSmallholdersの活用と言うのものに関係しているということらしい。歴史的に、フランスにとり小規模農家を現代コモディティネットワークに取り込む事は比較的容易だったと言うことなのである。

面白いのはイギリス、アングロサクソン文化圏のコモディティネットワークのあり方である。この筆者の論は私のフェアトレードやオーガニック運動への疑問に多くの答えを与えてくれるものだと思う。

簡単に要約すると、Anglophoneの文化圏では` good practices'` codes of conducts'といったものが持つ意味が大きく、そうした規則、監査が今のコマースを支えている。こうした伝統はcorporate paternalism (instituted by the colonial-era mining companies)に依拠すると言うのであり、こうした規則や定期的な監査というものが実際遠隔統治(govern at a distance)を可能にしていると言うことらしい。

面白い事にこうした規則や日常的なチェック、監査というものが徹底されればされるほど、対人間の付き合いや信頼性と言うものが失われて行く。このようなinternalization of supermarket surveillanceが tyranny of transparencyを産み、より非人間的なコマースと言うのが発展していくと言うことであり、この文脈の中で「サプライチェーンマネジメント(SCM)」という学問領域も発展してきた。要するに、いかに供給ラインの中でリスク、コストを最小化するかと言う点に力点がおかれているのであって、そこにフランスのネットワーク構築と大きな違いを見るのである。

なるほど。ではイギリスにおけるフェアトレード、オーガニック、倫理的ショッピングとはいったいなんなのだろう。フェアトレードに関してはもともとキリスト教の構造的不平等(structural inequality)を是正するところから始まっているようで,イギリスで最も力をもつキリスト教系NGO Christian Aidが政府、スーパーマーケットなどの小売業者に働きかけたところから一気に広まるようになった。またイギリスメディアがこうした国民の意識の形成において大きな役割を担っており、そうしたメディアを抱き込んでのキャンペーンが「フェアトレード」などのethical shoppingをメインストリームに押し上げる事に大きく貢献したのである。

結局オーガニック認証にかんしてももともとSoil associationがはじめたある種「認証ビジネス」の構造と言うのがフェアトレードなどにも影響しているのであって、こうした認証組織は政府や大手小売業者の利権と強くその結びつきを持っているのであり、要するに冨とパワーの問題に収斂してしまうと言うことがあるだろう。実際そういった倫理的、環境的な基準と言うのが、旧植民地国の生産者を新たな形で統治する事、強国の要求を押し付ける事につながっていると言える。たとえばChild laborに関する疑問も、その是非が本当の意味で議論されているとは言えない。果たして児童労働の禁止が子供たちのより良い生活、教育へのアクセスを可能にしえいると言えるだろうか?単なる先進国の驕りや偽善に終始していないだろうか?

イギリス人のこのFoodie cultureというものは結局こうしたイギリスの旧植民地国とのコモディティネットワークの中で形成され、維持されているに過ぎないのであると思う。だからどことなく地に足の付いていない印象を他の国の人間には与えるような気がスル。

又、こうしたアングロサクソンネットワークにおいては、小規模農家というものが見過ごされがちであるし、もともとconsolidationが効率化を高めると言う思想がある中においてはsmallholder schemesというものがなじむとは到底言いがたいのである。こうしたアングロサクソン国における地方発展と言うのは本当の意味で可能であるのか自分は本当に疑問を持っている。

今考えてみればイギリスにいたとき、常に食べ物番組、ドキュメンタリーを目にしていたと思う。そうした番組の数々は要するに消費をあおるものでしかなく、いかにイギリスメディアが経済界とつながっているかを知るにいたる。BBCなんかも、結局「食を通じたライフスタイルの提案」というようなことを積極的に推し進めてるように思えるし、書籍の出版やセレブリティシェフとタイアップした商品などをスーパーで良く目にした。すべてはこうしたイギリスのコモディティネットワークと言う中である意味独自の発展を遂げているように私には写る。

アフリカはそういった点において本当の意味で強国のイデオロギーのかなで大きな犠牲を強いられていると思う。EUとアメリカ、またイギリスなど、たとえば、遺伝子組み換えの問題(transatlantic GM battle in Africa)でも国際政治の中でがんじがらめにさせられているようで胸が傷む。しかしながら、こうした開発学的問題と言うのは植民地主義の歴史やその遺産をいかに精算するかという事が大きなボトルネックになっている気がしてならない。歴史は変えられない、では我々に何ができるのだろう?

この手の本は他にもあって、たとえば
The Noodle Narratives: The Global Rise of an Industrial Food into the Twenty-First Century
Cheap Meat: Flap Food Nations in the Pacific Islandsが近いものがあると思う。まあ現代においてはフードスタディは結構はやりだからあれだけど、なかなか面白い論を言える人がいない気がスル。なんとなくいつもネオリベラリズムや植民地主義の歴史、またネオコロニアリズムにかんして言っているような気がしてならない。それ言っちゃおしまいよー的な感じがしないでもないんだけど。。。。





そういえば最近読んで色々と納得したころがあったのはこの本の存在を知ってから.Taken: Exposing Sex Trafficking and Slavery in India 



こういう現実があると言うことははやり同じ女性としては考えさせられること多い。そんな中で、THE QUEENS DAUGHTERS IN INDIAという1892年にかかれた文章を読んだのだけれど、ちょっと色々ショックを受けてしまった。こうした現在にも続く人身売買、売春などの事象はイギリス植民地統治時代より構造的に形成されたものであると言うことはある種衝撃で、軍の士気を維持するために現地の女性を調達するということを組織的に実行したと言う事実は、植民地政策を知る上で大切なことだと思ってしまった。まあ要するに性病の蔓延をコントロールするために公衆衛生に関する法律を整備したりしたということは非常に興味深い。まだ途中までしか読んでないけどこれもイギリス植民地主義の暗部を知る意味でも私にとって勉強になる。

こうして考えてみると、コモディティネットワークでも現代の諸問題もやはり18,19世紀に端を発しているケースが多いように感じる。

もっと色々書こうと思ったけど、とりあえずこの辺で、、、、、。






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