Tuesday 8 October 2013

A Trip to Atami and so on

先週末は兄の結婚式に参加するために熱海に行った。


最初は泊りがけの結婚式旅行というアイディアにあまり乗り気じゃなかった。わざわざどうして遠くまで出かけて神前式をするのかちょっとわかりかねるところがあったが、結果的に楽しい時間を過ごさせてもらって本当に感謝している。


結婚式は熱海、来宮神社で行われた。ここは国の天然記念物に指定されている大楠が有名で、なんとも言えないひなびた感じがとても良かった。



最近は「パワースポット」としてその大楠が有名らしくて観光客を呼んでいるらしい。確か神々しいその大楠にはパワーをもらえる気がするし、大楠の他にも様々な巨木が境内にたくさんあり、とても良い雰囲気だった。


兄もついに結婚。奥さんは本当にいい人で兄も本当に幸せそうで私もうれしい。色々今回の結婚式&家族旅行の計画準備で大変だったと思う。まあ一生に何回もあることじゃないから、、、I hope!


翌日は家族総出で伊豆山神社へ参拝。こちらは北条政子と源頼朝が契りを結んだと言われる大変歴史の深い神社で多くの人の信仰を集めているとのこと。源頼朝が源家再興の祈願をこの神社でしたと言われており、色々と歴史のロマンを感じることができる場所。それにロケ-ションが最高で、熱海の海を一望する事ができる境内には、頼朝と政子が座ったと言われている腰掛がありなんともロマンチック。ここで天下取りを誓ったのですね。頼朝カッコイイ。

約900段近い階段。でも車で頂上までいけるから安心です。昔の人は随分健脚だったのですね。



私はここで天下取りを誓ったのです(収入アップ等かなり現実的な祈願をしました、、、。)


その後はMOA美術館へ。

怪しいエスカレーターを抜けると、、、、。


そこにはモダンな美術館が。

この美術館の名前は Mokichi Okada Associationの頭文字をとったもので、岡田茂吉が芸術を通して人間性、文化を高めていけるようにとの理想を元に作られたものであるらしい。

岡田茂吉さんと言えば世界救世教の開祖であったわけだけど、元々は東京芸大出身で芸術を非常に愛した人であるようだ。芸術の他にも自然農法等にも傾倒し、世界救世教はそうしたことにも力をいれているらしい。

肝心の美術館であるけど、展示品は主に東洋美術が中心で現代日本アートや浮世絵、仏像など多岐にわたる。黄金の茶室など俗物っぽいものもあるけど、実際結構楽しめる美術館だと感じた。

尾形光琳の自宅を移築したものなど、彼がそうした芸術家に対して非常なる尊敬の念を持っていた事が強く感じられた。

美術館を後にし、最後は刺身定食で旅を締めくくった。



熱海から帰ってきてからちょうど読み終えた本が是。Down And Out In Padstow And London



値段も安かったし、軽い感じで何か読みたかったから手に取ったのだけど、大変笑わせてもらった。と言うのも、昨今のイギリスにおける「フーディー」(Foodie)文化を良く描写しており、かの国でテレビ等のメディアに触れた事のある人間であれば大変面白く読めると思う。

ジャーナリストの主人公がその職をやめて料理人を志して色々なところで修行し、挫折したりするそのストーリーは、グルメブームの中でヤキモキしている人間にとって非常に痛快である。

要するに、多くの人が(特にイギリス等)料理人に対して非常に憧れを持っているわけだけど、実際に主人公が経験する事すべてがその理想、イメージからかけ離れていて、彼はその中で現在跋扈するこのグルメ文化がいったい何なのであるか自問自答する。

こうしたグルメ文化を牽引したのはやはりBBCのMasterchefシリーズだと感じる。その本の中でも散々言われているが、メディアのトレンド形成における役割である。正直日本のメディアにはもうそこまでの力は感じないが、未だにイギリスのメディアはそうした流行を生み出す大きな役割を産業界で担っているガゆえにその重要性、人気と言うのも高いのではないか。


ちなみに英語圏ではCeleblity Chefという人々が存在し、ゴードン・ラムゼー等はその代表格。私は彼がホストとなっているアメリカ版マスターシェフを見たが、結構面白くてはまってしまった。(面白いと言うのは色々めちゃくちゃな事がまかり通っていると言う意味で。)



こうしたセレブシェフという概念をはじめて体現した人はKieth Floydだと言われている。BBCで長い間旅、料理番組を担当していた人で、私は彼が飲みながら楽しそうに、また時に失敗しながらその土地の料理を作っているシーンが好きだ。残念ながら彼は2009年に他界しているけど、彼の人生と言うのは本当に山あり谷あり、成功者として多くの苦悩を抱えていたようで、昔Channel4 のドキュメンタリーで死の2ヶ月前にとられた彼を見た事があるがそうしたアップダウンの激しい人生を生きた事が伺えた。

これはスペイン、ガリシア地方を旅したエピソード。


ちなみにその本に戻ると、主人公がHeston Blumenthalのレストランで修行する事になるのだけど、色々ミシュラン三ツ星のレストランの舞台裏が見れて面白い。

ヘストンは実際独学で料理を学んでおり、自分のレストランを持つまでは一度一週間だけプロフェッショナルキッチンで働いた事があるだけらしい。イギリスが生んだ天才と言われているようだけど、、、。



彼はビクトリア朝等のレシピにインスピレーションを受けながら料理をプロデュースしており、最近はそれがとても評価されている。この記事に詳細が乗っている。

ロンドンにいるときは私も完全にその「フーディー」の一人だったが最近は現在のこうした世界的流行であるフードムーブメント全体に興味がある。まあおいしいものは大好きなんですけど!

Thursday 3 October 2013

秋の昼下がりに

天気は徐々に秋らしきなって行く。いたるところで秋を感じるこの日常と言うのはすばらしいと思うし、こうした季節感を尊ぶという事は日本人に内在的にあるものなのかもしれない。先月の満月はあまりに美しかったし、帰宅途中茂みから聞こえてくる鈴虫の声も秋を感じさせてならない。スーパーに行けば私の代好きな柿が売っているし、栗も徐々に目にするようになった。食べ物から季節を感じると言うのはとても風情があって素敵だし、何よりも舌、胃袋ともに季節を感じ物理的に満足する事は大切なことだと思う。


季節感と言えば、身近に感じるところでやはり食べ物があると思うけど、今日読み終わった本は私がロンドン在住中から抱いていた疑問にたいして多く答えるものであったので非常に勉強になった。French Beans and Food Scares: Culture and Commerce in an Anxious Ageは現代の食料流通をめぐるある種文化比較を特定の地域、文化圏、また食料品に的を絞って考察している本で、私にとり非常に深く現代の食品流通がいかに文化的、歴史的な要素によって規定付けられているかと言う事を知る意味でためになった。


筆者は帝国主義時代における二大勢力、フランス、イギリスの現代のコマースのあり方がどのように違った発展を遂げて今の消費主義社会に答えてているかと言う事を論じている。

フランスの国家形成が強く地方都市、農民の発展に重点が置かれていたという歴史的事実と、それが旧植民地アフリカ諸国における経済発展を主に農民を抱きこむ形で行こなわれたという事に寄与したと言う事実は非常に重要なポイントであると思う。そうした、農民、ある意味プロフェッショナルな技術、知識を持つものに対するフランス文化の尊敬や自負心と言うもの自体が(metis)、対人間性を重視したコモディティネットワークを可能にしたと言うことであるらしい。未だにフランスのマーケットではそいうした特定の食材に対する深い知識を持つ店主などが多くの尊敬を集めるそうだ。こうしたpeasant-based rural developmentそのものが、フランスの食文化やある種「匠」の文化を支える根本にあると言うことである。

そうした伝統が今のフランスにおける「エキゾチックな農産物」の流通ネットワークに強く見られるとの事。たとえば旧植民地であるブルキナファソなどはフランスに良質なインゲン豆を輸入しているとの事だが、その形態はある種old-fashioned commodity networkである側面が強く、人間関係や信頼と言ったものが生産から輸送にいたるまで大きな意味を持っている。今ではスーパーなども参戦しそうした側面が薄れてきてはいるものの、ひとつフランス語圏の食糧生産や物流を理解する上で大切なスコープとなる。こういる地方、農民の発展が国家形成の中で重要な意味を持ったと言うことは、直接的に旧植民地生産国におけるSmallholdersの活用と言うのものに関係しているということらしい。歴史的に、フランスにとり小規模農家を現代コモディティネットワークに取り込む事は比較的容易だったと言うことなのである。

面白いのはイギリス、アングロサクソン文化圏のコモディティネットワークのあり方である。この筆者の論は私のフェアトレードやオーガニック運動への疑問に多くの答えを与えてくれるものだと思う。

簡単に要約すると、Anglophoneの文化圏では` good practices'` codes of conducts'といったものが持つ意味が大きく、そうした規則、監査が今のコマースを支えている。こうした伝統はcorporate paternalism (instituted by the colonial-era mining companies)に依拠すると言うのであり、こうした規則や定期的な監査というものが実際遠隔統治(govern at a distance)を可能にしていると言うことらしい。

面白い事にこうした規則や日常的なチェック、監査というものが徹底されればされるほど、対人間の付き合いや信頼性と言うものが失われて行く。このようなinternalization of supermarket surveillanceが tyranny of transparencyを産み、より非人間的なコマースと言うのが発展していくと言うことであり、この文脈の中で「サプライチェーンマネジメント(SCM)」という学問領域も発展してきた。要するに、いかに供給ラインの中でリスク、コストを最小化するかと言う点に力点がおかれているのであって、そこにフランスのネットワーク構築と大きな違いを見るのである。

なるほど。ではイギリスにおけるフェアトレード、オーガニック、倫理的ショッピングとはいったいなんなのだろう。フェアトレードに関してはもともとキリスト教の構造的不平等(structural inequality)を是正するところから始まっているようで,イギリスで最も力をもつキリスト教系NGO Christian Aidが政府、スーパーマーケットなどの小売業者に働きかけたところから一気に広まるようになった。またイギリスメディアがこうした国民の意識の形成において大きな役割を担っており、そうしたメディアを抱き込んでのキャンペーンが「フェアトレード」などのethical shoppingをメインストリームに押し上げる事に大きく貢献したのである。

結局オーガニック認証にかんしてももともとSoil associationがはじめたある種「認証ビジネス」の構造と言うのがフェアトレードなどにも影響しているのであって、こうした認証組織は政府や大手小売業者の利権と強くその結びつきを持っているのであり、要するに冨とパワーの問題に収斂してしまうと言うことがあるだろう。実際そういった倫理的、環境的な基準と言うのが、旧植民地国の生産者を新たな形で統治する事、強国の要求を押し付ける事につながっていると言える。たとえばChild laborに関する疑問も、その是非が本当の意味で議論されているとは言えない。果たして児童労働の禁止が子供たちのより良い生活、教育へのアクセスを可能にしえいると言えるだろうか?単なる先進国の驕りや偽善に終始していないだろうか?

イギリス人のこのFoodie cultureというものは結局こうしたイギリスの旧植民地国とのコモディティネットワークの中で形成され、維持されているに過ぎないのであると思う。だからどことなく地に足の付いていない印象を他の国の人間には与えるような気がスル。

又、こうしたアングロサクソンネットワークにおいては、小規模農家というものが見過ごされがちであるし、もともとconsolidationが効率化を高めると言う思想がある中においてはsmallholder schemesというものがなじむとは到底言いがたいのである。こうしたアングロサクソン国における地方発展と言うのは本当の意味で可能であるのか自分は本当に疑問を持っている。

今考えてみればイギリスにいたとき、常に食べ物番組、ドキュメンタリーを目にしていたと思う。そうした番組の数々は要するに消費をあおるものでしかなく、いかにイギリスメディアが経済界とつながっているかを知るにいたる。BBCなんかも、結局「食を通じたライフスタイルの提案」というようなことを積極的に推し進めてるように思えるし、書籍の出版やセレブリティシェフとタイアップした商品などをスーパーで良く目にした。すべてはこうしたイギリスのコモディティネットワークと言う中である意味独自の発展を遂げているように私には写る。

アフリカはそういった点において本当の意味で強国のイデオロギーのかなで大きな犠牲を強いられていると思う。EUとアメリカ、またイギリスなど、たとえば、遺伝子組み換えの問題(transatlantic GM battle in Africa)でも国際政治の中でがんじがらめにさせられているようで胸が傷む。しかしながら、こうした開発学的問題と言うのは植民地主義の歴史やその遺産をいかに精算するかという事が大きなボトルネックになっている気がしてならない。歴史は変えられない、では我々に何ができるのだろう?

この手の本は他にもあって、たとえば
The Noodle Narratives: The Global Rise of an Industrial Food into the Twenty-First Century
Cheap Meat: Flap Food Nations in the Pacific Islandsが近いものがあると思う。まあ現代においてはフードスタディは結構はやりだからあれだけど、なかなか面白い論を言える人がいない気がスル。なんとなくいつもネオリベラリズムや植民地主義の歴史、またネオコロニアリズムにかんして言っているような気がしてならない。それ言っちゃおしまいよー的な感じがしないでもないんだけど。。。。





そういえば最近読んで色々と納得したころがあったのはこの本の存在を知ってから.Taken: Exposing Sex Trafficking and Slavery in India 



こういう現実があると言うことははやり同じ女性としては考えさせられること多い。そんな中で、THE QUEENS DAUGHTERS IN INDIAという1892年にかかれた文章を読んだのだけれど、ちょっと色々ショックを受けてしまった。こうした現在にも続く人身売買、売春などの事象はイギリス植民地統治時代より構造的に形成されたものであると言うことはある種衝撃で、軍の士気を維持するために現地の女性を調達するということを組織的に実行したと言う事実は、植民地政策を知る上で大切なことだと思ってしまった。まあ要するに性病の蔓延をコントロールするために公衆衛生に関する法律を整備したりしたということは非常に興味深い。まだ途中までしか読んでないけどこれもイギリス植民地主義の暗部を知る意味でも私にとって勉強になる。

こうして考えてみると、コモディティネットワークでも現代の諸問題もやはり18,19世紀に端を発しているケースが多いように感じる。

もっと色々書こうと思ったけど、とりあえずこの辺で、、、、、。






Thursday 12 September 2013

会社を休んで考えた事 等

就職して働き始めるとそれはそれで色々な問題や悩みが浮上してくるものだと最近感じるようになった。今日は実際あまり体調が優れなかったので病欠という事で会社を休んでみている訳だけど、真剣に転職活動をしようと思っている。実際あまり大きい会社でない上に、上司による所謂「セクハラ」の様なものを受けており、実際会社でその人の顔を見たり、話を聞くだけでも正直最近は耐えられなくなっている自分が要る事に気づく。結局無理していた何かが自分の中で頂点に達してしまったようである。まあ早急に転職しなくてはと考える今日この頃である。


そんな日常の中でも楽しみというのは有る訳で、実際その点については完全に充実した日々を送っていると思う。

昨日はニュージーランド人の友達と地元の駅で会い、酒を中心とした酒晴(サカバルと読む)で夕食を食べた。

ワイングラスで日本酒が出てくるのと、つまみも結構美味しいので友達が練馬に来たときはたまに使う。なんと言ってもスタッフが若くて元気が有るからいい。ああいった感じは、自分の中では三鷹とか吉祥寺とか中央線沿線の感じがする。だから練馬にもついにこうした流れが来たか、と変な感慨に浸ったりしている。実際日本に帰ってきてから意外と練馬とか地元が変わってきており住みやすくなったと感じている。やはり大江戸線や西武線と副都心線合体等のせいで交通の便がぐっと良くなっているせいも有るだろう。

昨日は友達の彼が売っている蜂蜜をくれた。今まで5種類くらいもらってるが今回は一番私の好きな味のやつをもらった。ニュージーランド産天然蜂蜜で最近は色々お客さんを増やしているみたいで、そう言った話を聞くと私も嬉しくなる。仕事を始める前は一緒に大井埠頭に行って積み荷を手伝ったりしたっけ。

ちなみに彼の最近のお客さんは成城石井、安全すたいる、等かなり有名なところが多い。特にこの安全すたいるという会社は通販で天然食品を売っているようでかなりポテンシャルが高いお客さんであるといえる。


今回はこれをもらったのだが、お店で急遽試食会が始まりそれをお店に寄付する事になった。結果的に彼はオーダーを結構その場でもらっていたので、商売何が有るかわからないものである。

今回即時購入を決めたお客さんはなんと蜂蜜を美容液代わりに使っているらしい。素晴らしくお肌が綺麗な熟女だったから私も蜂蜜を顔に塗ってみようかしら?!

先週の日曜日は池袋で用事があり色々飲んだり食べたりお金を使ってしまった。まずランチは東京藝術劇場のなかにあるベルギービールカフェ ベル・オーブ東京藝術劇場にいって、よく覚えていないけどフリッツとベルギービールのでかいのを飲んだ。



ファット!

かなり退廃的日曜日である。しかし昼ビールのこの背徳感がたまらない。まああまり好きな味じゃないビールだったけどオープンスペースのこのレストランは開放感があって好きだ。特に日曜の昼あたりのリラックスした雰囲気がいい。

その後は腹ごなしもかねて鬼子母神神社に行って来た。



この鬼子母神の伝説って結構面白い。要するに子宝とかそう言ったご利益が有るらしい。実際この鬼子母神って子供を食べちゃうような女性であったみたいだけど、仏教に改宗して子孫繁栄等の神様になったよう。もともとはイランの伝説から来ているみたいだけど、彼女が仏陀と出会う事によって子供のある意味守護神のようなものになったとの事。仏教流布のため、また伝説が生まれた当時の社会状況を考えると幼児の死亡率も高く医療もレベルも低い中で子供が生きる事そのものが大きな意味を持ったと考えられる。

実際この鬼子母神神社は非常に雰囲気がいいから私は心が落ち着くので好きだ。池袋の喧噪を完全に忘れる事が出来るいい場所だと思う。

その後はお決まりのルート。池袋ジュンク堂へ。そこで買った本がこれ。


これは昔ヴィレッジバンガードで立ち読みした事が有るが、英語で読むのは初めて のThe Invention of Solitude Portrait of an Invisible manは彼の父親との関係、一人の男性が有するある種絶対的な「孤独」「空間」というものに焦点が当てられている。邦訳だと「孤独の発明」となっているけどこのSolitudeという言葉には「孤独」という言葉が持たないニュアンスを含んでいると感じる。こういう時に「ロストイントランスレーション」だなと感じてしまう。ポールオースターはなぜか大学時代から読んでいる作家の一人。でも最近は英語強化年間に突入しているので原点を当たる事に。

これを読んでいる時私は自分の父親の事を考えざるを得なかった。急死してもうすぐ丸四年である。私は一生彼の残した絶対的に「理解」し得ない何かを探し続けるのだと感じているし、実際自分の最近の読書の傾向としてはそうしたもの知らずのうちに求めている気がしてならない。

この本の中で、父親の死後筆者は様々な父親の「Solitude」に触れる。亡くなってしまった以上物理的な接触は無くなってしまう訳だけど、実際その物理的な存在が無くなったからこそ理解出来る存在というものがある。彼の父親にとって「Death was a way out, the only legitimate escape」だったのだけど、残されたものにとってはそうはいかない。実際私の父親は殆ど完璧とも言える最期を迎えた、苦しまずに、それも軽井沢というロケーションで。でも我々家族が如何にトラウマを抱える事になったかかれは知らない。

結局筆者は「Impossible, I realize, to enter another's solitude」だと言っているが、私もその点は同意する事この上ない。「不可能な事」をしようと思うその労力が時に大きな苦悩を呼ぶのだと感じる。

結局立ち読みのつもりが買ってしまった。いつものパターンである。


そう、今は英語強化年間開催中なのであって、時間が有ればなるべく読むようにしている。最近読み終わった本の一つはこれ。


これは例のジャーナリストの友達が進めていたので読んだ。
私が読んで最初に思った事は徹底した「英国主義」の描写である。バトラーなんていう職業も英国の社会システムを考えるとここでしか存在しないモノだと感じる。実際イシグロも、「大陸の人間にはできない仕事」だと言っている。

この本の美しさは、過ぎ去った時代への郷愁とともに理想を抱く人間達の描写、また全体に見える「subtleness」といものが彼の日本人としての感性を見て取れるところだと思う。流石ブッカー賞受賞作だけあった文章は美しい(らしい、、。)。

しかし読んでいて主人公の言動一つ一つが非常にもどかしく感じられ、まあそこがこの本の魅力なのでは有るが、やきもきしながら読んだ。要するに、徹底した職業意識、またそこに彼が感じている美学というものがある種中心になっている訳なんだけど、それが二度と戻らない時代を象徴しているかのようで読者に与えるインパクトは大きい。

イシグロの作品は他に2作程読んでいるが、他は駄作に思えてならない。特にNever let me goは「は?」って感じだった。まああれがいいという人も多いけど私には良さがわからなかったな。

「二度と戻らない時代」といえば最近読んだこれもそれを強く感じさせる。ジョージオーウェルのカタロニア讃歌である。Homage to Catalonia 

Oh Spain! ここで描かれているスペイン人、スペインのオーウェルによる描写はかなり私が実際にスペインで見たものとオーバーラップする。大義を抱いてスペイン内戦に参戦したオーウェルが体験するのは、全く想像とはかけ離れた世界。武器の調達もままならない無政府主義者の軍隊、シラミと格闘するキャンプ、等々、読んでいて何カ所も笑ってしまう部分があった。文章から人間性が見えるとはこの事だと思う。私はこの読書を通じてオーウェルのもっとファンになってしまった。昔ファイナンシャルタイムズで「我々の時代ははどうしてオーウェルを有しないか」という事をのせていたけど、政治評論や社会論を彼のように表す人はいない、という様な事が書いてあったと記憶している。要するに彼もまた「時代の産物」なのかもしれない。

スペイン内戦には世界の文豪や様々な人が実際に戦火を見ており、この戦争が思想的、社会的に持った意味の大きさを知る。私としては、混沌とした時代、皆が様々な社会システムに対して理想を持っていたわけで、ファシズムと戦ったり、共産主義を標榜してみたりとある種「自由」というものがあった、と理解している。今は社会が成熟しそうした「自由」を謳歌する事が出来ない。1930年代等様々な戦争をとおして悲しみ、苦悩を経験はしたけど、人々には「希望」や「理想」あったのだと感じる。

忘れないうちに、これも先週読み終わった本の一つ。A Greedy Man in a Hungry World: How (almost) everything you thought you knew about food is wrong


これはロンドンに住んだ事のある人間だったら絶対色々と笑ってしまう本だと思う。彼はレストラン評論家としても有名だけど、実際はジャーナリストで色々なトピックをカバーしているらしい。

内容としてはあまり満足のいくものではなかったけど読んでいて楽しかった。まあこの手の本はもう結構読んでいるから新しい知識の習得というものは無かったけど、イギリスやその他ヨーロッパ諸国で跋扈する「サステナビリティ」に対するある種信仰心のようなものに疑問を投げかけている訳でそう言う意味では一読に値すると感じる。個人的な感想としては、尻切れで終わっている感が否めない。

はあ。なんかつかれてしまった、、、、。



Monday 2 September 2013

最近行った神社等

この数週間、色々な神社等に行って改めてニホンの神道、神社の中にある種安らぎと言うか安寧を見つける事多々あった。

あまり関係ないかもしれないが、私は何か大切な事があると地元の氷川神社に行く。なんと言うか、行くと落ち着くし自分の心と対話できるような気がして小さい時からよく訪れている。

氷川神社は関東に独自のものらしいが、要するに祭っている神はスサノオノミコトで個人的に信奉する神様のひとつである。私の感覚だと武神に近いところがあり、スサノオノミコトは様々な神社で祭られているのでニホンの神話の中でもかなり有名で重要な神であると感じる。

何かの本で読んだが、私の姓名や誕生日から牛頭天王とは深い関係があり、その神を慕えば慕うほどある種守護を与えてもらえる、との事である。牛頭天王はあらぶる神であるがその霊力はきわめて強く、ニホンの神仏混合のなかでスサノオノミコトと結びついていると言うことらしい。私はその記述を読んで以降、この牛頭天王を祭っている祇園信仰等に深い関心を持っている。

それはさておき、最近氷川神社を中心に好きな神社をめぐっているなかで東京を再発見する事たくさんありとても面白かった。


まず最初に大宮の氷川神社に気温が異常に高い日曜日にお参りした。ここは幼いころから家族でよく訪れていたのだが、参道をきちんと歩いたのは今回が初めてで、長く鄙びた感じのする参道を歩くのはすばらしく気持ちのよいことであった。

中も広く他の東京の大きな神社と違って、あまり混んでいないし庭園もあり非常にゆっくりとした時間が流れているという印象で、私はこのようなところに親近感と言うか神社としての魅力があると感じている。

適当な写真が見つからないので、、、。




こちらで神職として研修を受けていた某知人と合流し、大宮駅近くの大衆居酒屋で生ビ-ルでのどを潤した。よい日曜日の過ごし方である。


先週の土曜日は赤坂を中心とした神社を歩いた。

まず豊川稲荷東京別院から。

ここは不思議なんだけど、曹洞宗のお寺なんですよね。稲荷と言うと稲荷神社と自動的に脳内変換されてしまうけど、ここで祭っているのは豊川ダ枳尼眞天 (とよかわだきにしんてん)であり
いわゆるお稲荷様ではないらしい。通称豊川稲荷で通っているけどここらへんの歴史は非常に興味深い。


ここは本殿というか中に入って正座してお参りできるので落ち着いて拝むことができてとてもよいと思う。場所柄多くの企業や芸能関係の人が参拝すると聞くがどうなのだろう。

次は山王日枝神社。御祭神は大山咋神(おほやまくひのかみ)で系譜はこのような関係性らしい。(日枝神社サイトより)

地主神であり、そのご利益は産業の発展など多岐にわたる。江戸時代からは江戸城の鎮守として篤い崇敬を徳川家やその他大名等から得ていたらしい。現在においても赤坂のど真ん中で立地がすばらしく、存在感がすごい。




エレベ-タ-で本殿までいけるのでとても便利。高台の頂上に本殿があるのだけど、空の中にあるような印象を受ける神社で心が洗われるようである。


節分の時の豆まき大会は豪勢で懸賞物があったり、角界の著名人が豆を投げたりして一見の価値はあると思う。ちなみに私の姉はこの豆まきでプラズマクラスタ-を当てた。

真夏の神社めぐりは体力勝負。赤坂のイタリアンでビ-ル、プロセコを飲んで水分補給。ここらへんは歓楽街だから色々と面白い店があって楽しい。今度は夜に来て本格的に呑みたい。


次は赤坂氷川神社。東京ミッドタウンや各国大使館がひしめく六本木、赤坂の中にあるのだけど全く派手なところがなく落ち着いていて、好きな神社のひとつである。


夏の暑い日に蝉時雨の中でこの神社にいれる事はある意味心地よかったと思う。しかしながらあまりに暑過ぎて色々と感慨に浸ったりする事はできなかった。急いでミッドタウンへ。都会の「オアシス」である。

神社めぐりをしながら歩いた事のない道を歩いたり、新しいカフェや店を見つけたりするのが楽しい。最近は又しっかり神道や神話について学びたい気がしてきたので時間を見つけて神社めぐりをしながら理解を深めて行きたい。

関西に行きたいな、、、、。




Tuesday 13 August 2013

読んだ本、考えた事など 備忘録

ここのところはかなり暑さもそこまで暴力的ではなかったけど、今日から又暑さがぶり返すらしい。実際日中はオフィスにいるからむしろ寒いくらいであるけれど、外にでれば「ここは南国?」と思ってしまうくらい暑い。

こう暑いとアクティビティは専らインドアになってしまう。やっとここに来て今まで読んでいた本も読み終えたから次は何を読もうかと考える事ができてうれしい。

Shantaramはロンドンに初めて行った2010年の2月に買って、それ以来幾度となく読書にチャレンジしてきたが、如何せん900ペ-ジ超の小説を読むのはかなりの勇気がいるし、大学院が始まればやはり学校で必要なものを読まなければいけなかったのでこうして今無事読むことができてうれしいと思っている。


主人公はニュ-ジ-ランドから脱獄し、インドボンベイで住みながら、様々な人に出会い、また多くの波乱を潜り抜ける事によって、彼自身の人生を見つめなおし、力強く生活していく。インド社会の「負」の側面をよく描写しているのはないかとおもうし(未だに行ったことないからこんな事は言えないかもしれない。。。)、またそうした人々が日常的に困難、貧困に直面する中においても力強く、前向きに生きていく様が描かれていて、つい電車の中で感じ入ってしまうことがあった。こうしたものを読むと、人間の人生というものの多様性と時間の流れの中でも変わらない何かというものがあるのではないかと考えさせられてしまう。

作中で主人公は「Love」ということについて多くの考察を加えている。脱獄生活の中で自分が失ったもの、愛するものへの感慨といったもの、また彼の生活の中で新たに生じた愛というものへの真偽について自問自答することが、様々な事柄を経験する中で常に一貫してあるテ-マだったと思う。親友、家族、父親、そして恋人への自分の持つある種複雑な、またどこにおいても完結しない「愛」というものが彼に多くのことを考えさせるのである。

彼の人生と言うのは、まあ小説だから仕方のない事なのだけど、ドラマチックすぎて現実味がないと言えばない。しかしながら彼が描写すること、考察する事は普遍的なものを含んでおり、インドのスラムに住んだり、ギャングになったりした事がなくても引き込まれてしまう。この本は半分は本当の話らしい、というのも筆者はたしか本当のクリミナルだった。ヘロイン中毒、銀行強盗で服役していたが、脱獄しインドに行きつくあたりは本当の話。けど健全なる自叙伝ではなく、創作と事実が交錯し誰も本当のところは分からない、というところにかなり意味があると思う。


いつか本で読んだが、誰でも一冊は本を書くことができる、それは自分についての物語である、らしい。この本はまさにそれを体現するものであると感じる。以前私の大学の教授が言っていたが、人生を学ぶために小説を読む、というのは正しいのではないかと、最近実感することが多い。

ちなみにこのシャンタラムというのは、インドの彼の親友の母親が付けてくれたニックネ-ムで「Man of peace」という意味。是はかなり最初のほう出てくるスト-リ-だけど、彼のおくってきた人生、送るであろう人生とある意味対比する名前であり、この小説にぴったりの名前であると思う。


こうしてインドに関する本を読んでいると自然と色々な事に関心を持つものである。そういえば、最近インドビハ-ル州で給食を食べた児童23人が亡くなる事件があったが、その原因は殺虫剤入りの食事から来た中毒死であったそうだ。しかしそもそもどうしてこうした事件が起こるのかと言えば、インドにおける過剰なまでの殺虫剤、除草剤の使用があげられる。この記事によると、インドにおいては欧米等で禁止されている化学製品が未だに販売されており、そうした化学製品による環境汚染や人体への影響と言うのが後を絶たない。安易に手に入る危険な毒物に対する扱い、認識というのも非常に低く、今回の給食事件のようにカラの殺虫剤の容器に食用油をいれるなどとんでもない事が起きてしまう。また借金苦から多くのインド人農民が殺虫剤や除草剤を飲んで自殺を図ることがかなり多く見られ、社会においてこうした容易に手に入る毒物が深刻な影響を与えていることが見て取れる。


どこの国でもそうなのだけど、こうした化学肥料や殺虫剤等が自然環境に与える影響と言うのはすごいものがあって、インドはその最前線であるとも言える。動物に投与する抗生物質も大きな問題であり、こうした事が簡単に自然環境の組成と言うものを替えてしまう。そうした例を示したのがIndia's vanishing vultures。これは、ハゲワシがインドの町から消えて行く自体を描写したものであり、生態系の崩れがもたらす深刻な影響と言うのを物語っている。ハゲワシというのはインドにおいてある種ごみ処理部隊のような役割を果たしており、肉食である彼らは動物の死骸等をえさにしている。こうした事は日本ではありえないけど、牛がが闊歩する、また家畜保有が高いインドにおいてはこうしたスカベンジャ-がなくてはならないものであるらしい。しかし、家畜に投与されている抗生物質がハゲワシに肝不全のような症状をもたらし、今急激にその個体数が減っているとの事。是がいったい何をもたらすのかと言えば、動物の死骸を食べなくなったハゲワシに変わり野犬の増大、不衛生な環境がもたらす感性症の拡大など多岐にわたる。



大学院ではいつも「緑の革命」に関する事象を勉強させられた。要するに、現代型の化学肥料の大量投入、農薬の使用、遺伝子組み換え種子などが生産性の向上をもたらした一方、そうした新しい技術が自然に多くの変化をもたらし、また生産者が抱える継続的な投資への負担が取り沙汰されるようになった。インドにおいては、農薬の使用が人体に悪影響を与え、また高価な遺伝子組み換え済み種子を毎年買わなければいけないという悪循環が出来上がってしまった。要するに、モンサントなど大きな国際企業が貧しい農民を搾取しているという図式である。遺伝子組み換え種子と言うのはそれに見合った肥料や農薬を必要とするので、結局生産性はあがるかもしれないがそれに伴う投資額も莫大になってしまう。インドの農民みたいにほとんど有機栽培で保存していた種を使用し長年「持続可能性」を実現してきたものにとって、この西欧型の農業モデルというのはその根底から農民のシステムを変えてしまったとも言える。そのためインド農民の農薬を用いた服毒自殺は特に地方においては多く見られる。借金して買った農薬を実際の自殺の道具として用いるとはなんとも皮肉である。

World According to Monsanto




図書館に行きたい、、、、。





Thursday 25 July 2013

菜食主義あれこれ

いつも時間ある時に聞いているラジオ番組と言えばBBCのFood Programで、先日聞いたエピソ-ドはヴィ-ガニズムに関してだった。ヴェジタリアンより厳格な食事制限をしている事が特徴で、要するに動物が関与した食料品を口にしない、接しない。また動物由来の洗剤やシャンプ-なども使わないのが本当のヴィ-ガンライフであるようだ。蜂蜜だって禁忌のひとつ。確かに蜂蜜こそ蜂の労働力の搾取であるわけで。。。。

エピソ-ド中、色々とドイツではやり始めているヴィ-ガンス-パ-の話や私が個人的に好きなニュ-ヨ-クタイムズ紙のMark Bittmanもインタヴュ-に答えていて面白かった。日本だとヴィ-ガンってあまり一般的ではないけど、最近欧米を中心として、生活のある意味一つの選択肢になりつつあると言うことが言われていた。ヴィ-ガンス-パ-でも半分近くの客は実際ノンヴィ-ガンであるらしく、消費者のヴィ-ガン的思考、生活への理解を伺わせる。

ヴィ-ガンではないにしろ、私はロンドン留学中菜食主義やその他の食に関する「主義」というものに関する事象をテ-マに修士論文を書こうかと思っていた程ある意味熱中してあれこれ考えたり文献を読んでみたりした。こうした事も、日常的に感じていたことがきっかけである。たとえば、日本のス-パ-だとありえないことだけど、いちいちロンドンのス-パ-に行ってミ-トセクションに行けば「オ-ガニック」「フリ-レンジ(定義は曖昧な所があるけど、要するに動物が自由に動ける環境を保証する事が基本的考え)」「コンヴェンショナル(要するに従来型の飼育によるもの)」の三種類のチョイスがあり、鶏肉を買うだけでも、私にとっては思考的に非常に難儀することであった。

当然オ-ガニックが一番高く、フリ-レンジがそれに続くという形で、いかに自分が特定の農業方法、飼育法、安全性を支持するかと言うアル意味踏み絵のようなものであり、私にとってこの「クラス」を常に意識させられる日常のショッピングというのが非常に苦痛であった。この値段の違いは、飼料の質や化学肥料などの要因もあるが、事肉類に関して言えば動物が飼育される過程においていかに苦しみを軽減させられ、「humane」なやり方で取り扱われているかと言うことが大きな意味を持つ。実際、多くのドキュメンタリ-や書籍が工業化、産業化された農業、畜産業の劣悪、残酷な現状を告発してきた。


たとえば、Eating animal はヴェジタリアンの著者が畜産業に関する実態を、文学的とまで言わないがより感情や感性に訴える手法で描いており多くの読者を持ったようだ。私は是を読んで、単純に面白いと感じたし、我々人間が無条件に他の動物の命を奪ってなんらの道徳的疑問や葛藤を持たないのはおかしいと思った(と記憶してる)。



多分フ-ドチェ-ンの天辺にいる人間はそうした権利があるのかもしれないが、多くの支持を得ている識者が非難していることは、高度に産業化された生産システムが動物への不必要な虐待をまねいていると言う事。ここらへん面白く描いているのは有名なドキュメンタリ-Food Inc,.だと思う。私たちが食べている安価なハンバ-ガ-の、ナゲットの裏には何が広がっているのか、というのがよく分かる。



主観性を排したドキュメンタリ-でよいものはと言えば、Our daily breadで、やや単調であるが着眼点は、人が生きる、また食べることがいかに密接につながっているかと言う事であると思う。生産者、またはそこに従事する人々の仕事後の食事風景を必ず映すところがポイント。人は食肉工場で豚や牛を屠殺しても必ず「一食」というのは取るのであって、要するに生活がある、と言う事を実感させられる。至極当たり前の事のようだけど、実は色々な個人の「常識」や「感情」というのは現実を直視する事を少し困難にさせ得るのだと思わされてならない。生きるためには食べなければならない、というシンプルな事実を食料品生産者の目線から理解することができると感じた。



話は脱線したが、私はこうした欧米での動物福祉の考え方、地球環境破壊への努力を日常生活で感じられたがゆえに、生き方としてのヴェジタリアニズムと言うものに非常に関心を覚えたのだと思う。畜産業が発する二酸化炭素の量と言うのは莫大であり、今後増え続ける人口に伴うたんぱく質、肉食に対する需要と言う事を考えると非常に難しい問題をはらんでいると思うし、国連でさえ今は菜食が地球環境保護へ貢献するといっている。こういうのを環境菜食主義と言うらしい。

現在では「ラボ」ミ-トの研究が盛んに行われているらしいけど、やはり人類が動物へ依存した食事というものからの離脱をするための第一歩なのだと思う。まあこの手の議論は、やはり欧米からしか出てこないと思う。それも長い畜産業、というか食肉の歴史がそうさせるのだと思う。


「肉食の思想」という本を読んだけど、家畜を飼う事が当たり前の社会において、いかに現代に息づく生活上の「禁忌」と言うものが形成され、キリスト教が人間と動物を区別するために絶対に必要な要素であったかと言うことがかかれていた。キリスト教は人間を動物より高次なものとして位置づけるための理論的支えとなったし、結婚と言う社会システムが動物と人間を分かつ大切な制度だったとかかれている。要するに、家畜を飼っていると「性」というものが日常的なものであり、血がつながっているもの同士の性行為なんて言うのも当たり前。こうした動物の「自然すぎる性」というものと明確に人間社会を区別し、結婚外の性を認めず、また近親相姦等のタブ-を作る事によって、人間の優位性を明らかなものにしたのである、らしい。




その点、日本を含めアジア社会はそもそも放牧に適する地理ではない。牧草地なんてものはなく、緑は基本的に雑草。その著書に出てくるが、ヨ-ロッパに雑草はない、という言葉も牧畜の観点から非常に正しいと思う。いつかスイスの車窓から見た果てしなく続くように思われる牧草地を思い出す。アジア圏では基本的に階層的に動植物を捉えているのではなく、「調和」する事に非常に意味がある。日本の神道なんてまさに典型であると思われるし、動植物を人間から区別し優位性を確保する必要性もない。まあ今の日本の食生活なんて欧米型になっているからそういった西洋における肉食に対する葛藤なんてものをすっ飛ばしてグルメの領域に入ってしまっているからなんとも言えないね。


こうした西洋の肉食への思想的な葛藤と言うものが、いかに東洋に出会い激しくその肉食を是とする西洋社会が思想的に挑戦を受けたと言うことがよくかかれているのはThe Bloodless Revolution: Radical Vegetarians and the Discovery of India であると思う。まだ途中までしか読んでいないけど、大航海時代以降西洋が東洋、インドと出会い、それまで菜食にたいするさまざまな議論や批判を続けていた知識人たちが、見事に思想的に菜食が息づいているインド社会を目の当たりにして、東洋の「思想的優位性」を考え始めたということがかかれていたと記憶している。まあこうした事も時間のある今もうちょっと深く掘り下げてみたいと思う。今読んでいる本を読み終わったら早速また個人的菜食主義研究を続けたいと思う。




世界には様々な菜食の食文化があるが、私にとってやはり人口の半数が菜食主義者だというインドにおけるヴェジタリアン料理というのが非常に魅力的だし、またおいしいから大好きである。日本にも精進料理や、台湾の素食などがあるが私はやはり南インドの料理やグジャラ-ト州の食文化に非常に関心がそそられる。

南インド料理はとにかく、ラッサムといった辛くてすっぱいス-プや、野菜が沢山はいったサンバル、また米と豆が主材料のド-サが有名でそのほかにも私の知らないおいしいヴェジタリアン料理があるに違いない。
ラッサムは中毒性があるから本当に恐ろしい。


ド-サは中に辛いポテトフィリングがはいっているマサラド-サが好み。食べたい!


だんだん力尽きてきて食の話になってしまうが、やはり現代においてその菜食主義の重要性、また可能性は無視できないものになっているし今一度動物の命を頂くと言うこと、それが地球環境に意味する事を考えることが大切なのではないかと思う。

多分今夜はまたインド料理を作るだろうな、はまりすぎ、、、、。










Wednesday 17 July 2013

スパイスを探して IN TOKYO

ロンドン留学中でよかったことのひとつと言えば、やはり多様なナショナリティ-を見れたことである。特に私の住んでいたエリアはアラブ系が多くていつもハラ-ルショップで色々と面白い食材を買ってはキャビネットにいれて来るべき料理の時に備えていた。

エッジウェアロ-ドはロンドンでもある意味面白いところだと思う。昼間から水タバコをふかしたアラブ人っぽいおじさんがお茶を飲みながら談笑しているところをよく見かけた。何の仕事をしているのか、どんなビザでロンドンにいるのかいつも不思議でならなかった。




多分こうした私の中東料理への関心は、南西アジアを大学で勉強した事、アラブ人エリアに住んでいたこと、そしてロンドンではやっていたおしゃれ中東料理の第一人者Yotam Ottolenghiの影響のせいだと思う。まあロンドンに行ってからと言うもの、ほとんど毎日、と言えば御幣があるが毎日に近い頻度でヒヨコマメのペ-スト、フムス(発音は結構地域によって違うみたいだけど、ロンドンでは「ハマス」に近い発音だった気がする。アとウの間のような。)を食べていた。色々なス-パ-のハマスを試した。個人的にはウェイトロ-ズノのオ-ガニックハマスが好きで、そのほかロ-ストオニオンハマスやペリペリ味ハマスなどよく食べた。好きすぎて、留学して一番初めに買った電化製品はハマスを作るためのフ-ドプロセッサ-。しかし粗悪品過ぎて音がおかしいくらいに大きい。騒音問題に配慮しながら作るハマスの味は格別だったが。

実際ハマスを売っているもののように作るのはかなりの勇気がいるし、配合を分からないと作れないと感じる。要するにものすごい量の油とごまぺ-ストを使う。よく日本で売っているのを見かけるがクリ-ミ-さが足りないと思う。オットレンギはこのタヒニを薦めていたっけ。もちろん私も愛用した(している)。



中東と言うか、南アジアなどの料理のすばらしいスパイス文化は私を魅了してやまないのであって、食べるもの作るのも好きだ。やはり日本のように素材のすばらしさに依存した食文化が見られる国においてはスパイスやハ-ブといったものの重要性はあまり高くないのだと感じる。イタリア料理なんかもこういった部類に属すると思う。だから日本人の異常なまでのイタリアン好きは納得できる気がする。それに肉を常食する民族においてはスパイスは欠かせないし、実際私も肉料理を作るときはスパイスがないと物足りなく感じるし、塩コショウでは食べていても楽しくない。まあ個人的な好みである訳だけど。

とにかく帰国してからと言うもの南アジア、中東食材屋をめぐるのが休日の楽しみにもなっている。

なんとなくやばさを感じつつ、上野に行くといつも必ずよってしまうのはアメ横センタ-ビル。独特のにおいが異国情緒を演出。






歯医者の帰りに必ずよっては中国語、韓国語でしゃべり掛けられながら買い物。大体コリアンダ-はいつも買ってる。

仕事の後に行ってみたのは新大久保。コリアタウンとしてあまりに有名だけど、最近は少ないけど南アジア系の食材屋もあるよう。


なんだかロンドンの町を思い出してしまうほど匂いとか雰囲気が似ていた。同じような商品を扱っているから当たり前なんだけど、定員は流暢な日本語を話している時点でここは日本だと再認識。行ったとき、南アジア系の定員が南アジア系の商売敵と日本語でビジネスに関する不満をぶつけ合っていた。「あなたは儲け過ぎだから、こっちは商売にならない、値段を下げなければ公平じゃない」とかなり込み入った内容。共通に話せる言語は日本語?

会社の近くにあって、大学時代からよく行ってたのはアルファラ。こちらは清潔感があって買い物しやすいと思う。大体ここでたいていのものがそろうから便利。





人の移動とともに食材もこうして旅をしてくるのですね。私もロンドンにいるときはよく三越の中にあるジャパンセンタ-にいって醤油買ったりペットボトルのお茶買ってたっけ。

大体仕事の後家にいるときは料理をしてストレス発散しているが、昨日はチキンカレ-とプラ-オを作った。チキンカレ-は丸鳥を買ってきて裁くところから始まったので、時間がかかってしまったがやはりカレ-は骨付きに限る。昨日作ったのはこんな感じ。ポイントはカシュ-ナッツをペ-スト状にして投入する事!




インド料理のレシピってインタ-ネット上にありえないくらい乗ってるから、作り方を知るのはさほど難しくないと感じる。

私はヴぁ-シェフのユ-チュ-ブ画像見るのが、カレ-つくりの前の儀式となっている。もちろん爆笑しまくり。カレ-作りはかくも楽しいのである!(ビデオはタンドリ-チキン)



東京には色々な「リトル~」があるようです。


Monday 1 July 2013

半分寝た頭で考えた事

以前マイケル・ポランの新著Cooked : A natural history of transformationを読んだ話を書いた気がするが、最近それに影響されて清水買い(私の姉等は衝動買いする、高額なものを買うことをこう表現している。一般的?)してしまった本が是、The Art of Fermentation。この本はポランの著作にも出て来るけど、実際きっかけは去年アメリカ旅行した時に立ち寄ったワイナリ-兼ファ-ムを訪れた時に発見したもので、ずっとほしいと思っていた。誕生日に自分へのご褒美と言う事で買ったわけだけど、何せアメリカから頼んだから来るのに数週間かかった。まだ中身をちゃんと読むにいたってないが、辞書的にゆっくりよんでいきたいと思っている。


最近は以前買った本を消化する日日であるけど、読み終わった本の中で色々納得して読んだのはJulie Guthmanの著作で、その後彼女の名前で論文を数本読んだけれど非常に興味深かった。カリフォルニア大学サンタクル-ズの教授で色々とオルタナティブフ-ドムーブメントに関して論文書いていて、大学院で関連する分野を勉強していた私としてはまさにどんぴしゃの内容。私の解釈としては、現在アメリカ等で見られる肥満問題を単純に貧困問題や経済格差の問題、民族問題に落とし込むのではなく、もっと大きな枠の中で現在のファ-ストフ-ド経済がいかに形成され、また行き場のいなくなった資本主義が今度は人間の体というものにその拡大の原理を適応させていくという視点なしには、世界的潮流を理解する事はできないと、言うものである。彼女の著書でカリフォルニアにおけるオーガニックフ-ドムーブメントに関する本も面白そうであるが、関連する論文を読むことができるので購入はしない。要するに、実際に「オルタナティブ」をこうした資本主義社会の中で本当に獲得できるのかと言うことが、彼女の論文等が与える命題であって非常に私としては懐疑的、というか難しい問題であると思う。基本的に現在の社会構造が純粋なる理念の追求としてのそういった運動を可能にさせるとは到底思えないのであって、私個人としては結局「自己実現」「自己満足」「自己プロデュ-ス」の域をでれないのではないかと考えている。

彼女の短い文章で面白かったのがCommentary on teaching food: Why I am fed up with Michael Pollan et al..私が抱いてきたポランや現代の「賢い」フ-ディ-文化に関する疑問をかなり正直にまた学術的に明らかにしているもので、読んでいて思わず、まじわかるわ-、と思ってしまった。ジャ-ナリストだからしょうがないかもしれないが彼の書いてる事って、結局彼個人の個人的、懐古主義的な発言に過ぎないのであって色々な学者や思想家の意見や論理の羅列でしかない気がしてきてしまった。その点、学者の文章は引用がはっきりしているのでこちらとしては読みやすい。私がネイティブ英語話者だったら違うのかもしれないけど、最近彼の著書に関する自分の評価は下がってきていることは否めない。結局彼が提唱するように倫理的、知的フ-ディ-になっても、誰も何も救わない気がするのである。ただ現実に見る社会格差や社会問題を知的な消費主義を実行する事によって何も変えることができないのではないかと、最近やや現実的な視点を身に付けつつある自分がいる事に気がつく。


そうした事を背景に日本を考えてみると確かに日本におけるファ-マ-ズマーケットは所詮海外の模倣でしかないと思うが、その反面新たにそうした輸入の概念や運動に頼るまでもなく日本のロ-カリズムや食に対する安全意識と言ったものが市民生活に根ざしている事を実感する。私は週に一回は必ず行っている地産マルシェは本当に面白いシステムであると感じるし、あそこに行って面白い、また新鮮な野菜に出会った時のわくわく感ったらない。要するに小規模、また中堅の農家のネットワ-クをつくり流通システムを確立する事によって消費者に安価で新鮮な野菜を提供するところにその意義があると思う。たまにイギリスでよく目にしていた野菜、スイスチャ-ドやエルサレムア-ティチョ-クをみると反射的にかごにいれてしまう。いつも同じものがあるわけではなく、季節や農家の出荷状況で商品が変わるところに私は強く魅力を感じている。


昨晩眠れなかったせいで書いてる事も脈絡がないものになってしまった。睡眠は大切ですね、、、。




Tuesday 11 June 2013

ガ-デング、読書など

日曜日は種から育てているトマトの苗木の植え替えをした。図書館で発見した水耕栽培の本に触発されて始めたベランダ菜園ではあるけど、いろいろと勉強になることが多い。しかしながら、発芽率も結構よく実際に育てるのは資金力と時間が必要となる事を後に知った。100円ショップでそろえられるとは言えかなりいろいろとそろえるものがあるし、第一せっかく発芽させたベイビ-を育て上げたい、というような変な親心が沸いてしまって厄介と言えば厄介だ。しかし、日日成長する彼らを見てるのは楽しく、また収穫はあまり期待はしていないけどやはり自分で育てたものを食べたい、という気持ちも少なからずある。

ちなみに今現在育てている野菜類は、コリアンダ-、イタリアンパセリ、ディル、フェネル、スイスチヤ-ド、トマト(ロンドンで買った種でイタリアのもの?)、これらはベランダにいて布団を干す場所を確保できない程になって来てしまっている。実家の庭にはズッキ-二、島唐辛子、ハバネロ、ハラペ-ニョ、プリッキ-ヌがうちの庭という過酷な環境の中で育っている。ズッキ-には農協で苗木を買ってきたときの数十倍に成長し恐ろしいさすら感じる。けど、ズッキ-二フラワ-が手に入るのはうれしい。海外の料理番組を見てるとズッキ-二フラワ-のフライトかたくさん出てくる。いまだにチャレンジしてないけどやってみようと思う。

練馬農業学校の畑で育てているきゅうりも久しぶりに見たら可愛そうなほど伸びていて、支柱にきちんと縛り付けてあげた。先生は「野菜は正直だから手を掛けてないとすぐへそを曲げてあまり実をならしてくれないよ」と言われてしまった。しかし、ちょっと見てないうちに12本もの巨大きゅうりがなっていてお母さんと一緒に重たい思いをしながら家に持って帰った。最近は練馬区のよさを少なからず実感するようになった。以前は全くきにもとめなかったが、練馬では区民農地の貸し出しも盛んだし、第一今だに農家が多い。実際農業学校の先生も土支田あたりの百姓だったりする。実際に先生が農作業している様子を目にすることもある。

帰国後から念願叶って自分の植物を育てているわけだが、この「ガ-でニング」体験が実際に私に教えてくれることは非常に多いと感じる。大学院で環境開発と言うマイナ-な勉強をしていたわけだけど、よく途上国の農家が直面する問題を授業で取り上げた。それに、ロンドンやサンフランシスコなどで目にしたファ-マ-ズマーケットや都市農業の盛り上がりなどを考えると、今私がガ-デニング、というよりも食べれるものを栽培すると言う趣味をもつのも自然な流れなのかもしれない。

こうした私の興味もアメリカ人作家やTVプレゼンタ-に負うところが多い。今日の朝ちょうど読みおわった Cooked:A natural history of transformation などを書いているMicheal Pollanやニュ-ヨ-クタイムズのMark Bittman、トラベルチャンネルのAnthony Bourdain などの作品を読んだり見たりしているのは本当に楽しいし、学ぶことも多い。アンソニ-のNO RESERVATION はロンドン時代以降楽しませてもらっている。彼は最近出世してCNNでも新しい番組を持っているが基本的には前作など同様、多分製作チ-ムが同じだと思われるけど、楽しい。英語は難しいところもあるけど基本的に映像は美しいし、また彼のナレ-ションが面白い。そういえば彼がボナペティマガジンで書いた文章は素敵だった。彼の父親とその関係性が食べ物の記憶を中心に描かれていて、読後不思議といい気分になったのを覚えている。

Micheal Pollanは留学前から読んでいたけど、留学中以降も楽しませてもらっている。と言うか、いろいろな事に対して理解が深まったし、彼の講義を聞いたりしているから楽しめる幅が増えたと感じる。今回の彼の著作は、クッキングという概念を火、水、空気、ア-ス、と四分割して、そのエレメントごとにその道のプロから調理や理念を学んでいくと言う内容であったけれど、最初あまり面白みを感じなかった。しかしながら、最後の章、主に醗酵にかんする内容、ブレッド、ピックル、ビ-ル作りなど読んでいて本当に微生物のすごさ、そうしたものとの人間の歴史と言うものに圧倒された。私は東京農大の小泉教授のファンでいろいろ醗酵に関する本を読んでいたけど、こうしてアングロサクソンが書いた醗酵学考というのはまた全く違って面白い。まあ著者はジャ-ナリストだから全く切り口が小泉教授と違うわけだけど、いろいろロマンを感じさせるものだった。チ-ズと性的なものとの話など非常に興味深かった。

また時間があればアメリカ人フ-ドライターについて書きたいと思う。

Friday 7 June 2013

未だに

「溶連菌感染症」の影響のせいか身体がだるいし食欲も無いけど、せっかくの休みだからどこかにいきたい気分になる。先週は友達が潮干狩りに行こうって言ってたけどどうなんだろう?

朝からCraig David TS5の音楽を聴いてる訳だけど、本当に今年は私にとって残念な年になってしまったと実感してしまう。今年はニュ-アルバム発売と言うこともあってワ-ルドツア-やっているのに、私はロンドン開催ライブも見逃し、さらに他の地域で行われているライブにもいけない。ロンドンにいるときはまったくライブなかったのに、、、、。ニホンに来て下さい!

ずっと前からクレイグの音楽、声が好きで、ロンドン留学前もよく聞いてた。イギリスは彼の国だし、行ってからもっと彼の曲の感じがわかるようになった。一年目なんて本当に色々と大変で一人部屋にこもってクレイグの曲聞きながら作業してたっけな。そう思うとかなり社会と没交渉な留学生活のスタートだった訳で。。。

この歌なんか最初にすんだ寮を思い出す。寮はリバプールステイストリート駅の近くだった。近くのテスコでよく大量の食料買ってた。ちなみに滞在期間ルームメイトが私のスカーフとか細かいもの盗んでいた事を後で知る。


Your voice is amazingly good..........


という事で今年はニューアルバムが出るという事で本当に楽しみにしている。最近はクラブDJ業の方が忙しいみたいであまり曲だしてくれないんだけど、このインタビュー見た時ニヤニヤ笑うのをおさえられなかった。


アルバム楽しみにしてます、クレイグ!

外に遊びにいく体力も無いし、生産的な行動をする気力も未だに養われていない今はやはり映画見たり、洗濯したり、植物の世話をするしか無いのだろうか。

そういえば、英紙ガーディアンにMads Mikkelsen の新しい映画の記事が出ていたっけ(結構前)。デンマークの俳優の中で今一番有名なのかな。彼の作品ってあまり見てないんだけど、こないだ見たThe Huntはコペンハーゲンに行った後だっただけに情景が思い出され、また人間に猜疑心とかそういったモノが描かれていて複雑な気分になる映画だった。

友情が仕事が人生が、子供がついた「嘘」で徐々に瓦解していく男の人生を描いた映画であるけど題名が象徴的。彼は文字通り「ハント」されるわけだけど、同時に狩猟のシ-ンが随所に見られる。ちなみにデンマークでは「酔っぱらいと子供は嘘をつかない」っていう言葉が有るみたいで、子供の「純粋さ」ってものが徹底的に守られる一方彼は徹底的に社会的に排除されていく様がつら過ぎた。

そういえば、コペンハーゲンに啓蒙運動が訪れる間に国づくりに奔走した医者の盛衰を描いたThe Royal Affairも個人的に良かった。マッドやはりかっこいい。



最終的に処刑されるんだけど彼がデンマークに残した社会改革の案って今でもいきているみたい。映画の中では、ヨハンは宗教的なものを否定し続けるけど、最後処刑される前に神父を前にして「神」を意識するシーンが印象的。ここら辺は史実に基づいてるかわからないけれど。

ちなみにこの映画に出てる俳優が私と友人がはまったデンマークドラマBorgenに出てる俳優とかぶりすぎてて笑った。ボーゲンはデンマーク政治ドラマでイギリスだけじゃなくてアメリカ等でも中毒者続出だったらしい。私もあの手のドラマは見ないんだけど、公開曜日になるとカウチの前にスナック沢山用意してビール片手に見てたっけ。


シーズン1、2ともに素晴らしかった。色路「福祉国家」デンマ-クの社会問題を首相であるブリジットが公的、また私的に直面し乗り越えていくところに面白みがアル。個人的な離婚、子供の問題が、一方で福祉にかんする政策、問題などすべてつながっているので見ているほうも感情移入したり、はらはらどきどきしてしまう。来年?あたりにシーズン3放送されるみたいだから本当に見逃したくない。このドラマのせいで極寒の12月にコペンハーゲン旅行観光したんだからな。寒過ぎて友人発熱、その間ホテルで私ビール飲みまくりという悲しい結果に、、。

いきたかったな、ミッケラー。。。。



Thursday 6 June 2013

良かったドキュメンタリー

今年見たドキュメンタリーの中で何が良かったか思い出してみる。

まずマイケル・ジャクソンのアルバム「バッド」の製作の裏側を描いた「Bad25」。マイケル好きの私としては以前のThis is itよりマイケルの人間性がよく描かれていたようで良かったと思う。

ドキュメンタリーの最後でマイケルの死について質問されるインタビュイーが皆泣いてしまうシーンは本当に彼の人柄、というか彼と音楽を一緒に作った時間が誰にとっても一生忘れる事の出来ない素晴らしいものであったのだと言う事を実感させられてしまう。マイケルー!

今年3月くらいに見た007のドキュメンタリー「Everything or Nothing: The untold story of 007」も素晴らしかった。私としてはダニエル・クレイグのボンドしか見ていないにわかボンドファンでは有るけど、007がイアン・フレミングから連綿と受け継がれる「ボンド像」というものに映画製作の人々がどうかかかわり影響されていったかを描いたこのドキュメンタリーは時代の変遷というものを考えさせれられる映画だった。特に9/11以降敵というものが国家ではなくなり国際テロ組織というものにシフトしていった中でどのように映画自体変換を迫られたかというところは非常に興味深かった。なんでか覚えていないが、映画の最後では何故だか涙が出そうになった事だけは覚えている。まあ英語ちゃんと理解出来てない部分も有るとおもうけど、、、。
ちなみに007 skyfallは三回くらい見る程ダニエル・クレイグかっこ良かったし、ロンドンの街もキレイにうつっていたと思う。あれをみてロンドンに早く帰ろうと思った程だ。スコットランドもちょうど行ったところだったから、色々な情景が全て映画の中でよく反映されていて美しかった。「復活」がテーマだった訳だけど、生粋のボンドファンが見ても楽しかったと言っていたから、映画としてよかったんだと思う。
ちなみに、悪役で出ていたスペイン人俳優Javier Bardemは本当に評価高かったですね。アメリカ人自称映画通も彼がいなかったら映画はあそこまで良くならなかったと思うと言ってた。彼のBiutifulはいいらしいけど途中まで見て寝ちゃった。

昨日見た「Beyonce: Life is but a dream」という映画もビヨンセの人間性がよく出ていて良かったと思う。
ビヨンセもさることながら、アメリカのショービズって言うのは本当にすごいですね。ダンスのレベルとか本当にエンターテイメント産業って言うのが成熟している世界というのは日本と月とスッポン以上の差があるのですごいとしか言いようが無い。
ビヨンセは神という言葉を口にしていたけど、アメリカ人の信心深さのようなものをよく表していたと思う。

いずれにしてもアメリカまたはイギリス製作のドキュメンタリーは(個人的に)秀逸なものが多くて楽しみが多いですね。また良いものが見つかったら見よーっと。


この二三日で見た映画

会社を休んで三日目になる朝に書いている初ブログであるけれど、いやはや背徳感というか変な罪悪感が心の大部分を占めているのは否めない。しかし「溶連菌感染症」と診断され一応感染性のモノであるという事なのでよしという事にしておこう(?!)。

ブログは色々試しているけどなかなか長続きしないのも事実で、なんと言うか写真アップロードしたりするのがめんどくなって止めてしまってきた。その点このグーグルのブログは写真のアップロードも簡単だし無精な私でも続けられそう。

今週はやはり調子が悪かったせいか家に普段よりいれて、最近見ていなかった映画も見る事が出来た。

最初はライアンゴスリンが出ている一応最新作(?)の映画「The place beyond the pines」。



ライアンは最近アメリカやイギリスの女性の中でもセクシーな俳優として人気で、いつかイギリスマンチェスターかどっかの本屋でも彼の本(内容はセクシー男が教える恋愛極意、みたいなモノだったような、、、。)買ってるイギリスガールを見たっけ。

映画はライアン扮する(駄目な)バイクスタントマン、ルークが元恋人ロミーナ(エヴァ・メンデス)が彼の子供を育てているという事をしり、父親としての責任、何もしてやれない実情を変え、なんとか稼ぎをいれたいと思うようになるところから始まる。そこで偶然出会った(ルークのバイクテクを見て銀行強盗に加担させる事を決める)車の修理工であり銀行強盗をしている男と共謀して収入を稼ぎ、彼女に、また息子にプレゼントや現金をあげるようになるのだけど、彼女には彼女の新しい生活、パートナーがいてその彼の「責任感」からくる行動がトラブルを招くようになる。結局修理工は銀行強盗をおりる事にして、ルーク単独で銀行強盗に。警察に追いつめられるルークは立てこもった部屋から恋人に電話をし、「頼むから息子に自分が一体何者だったかを言わないでくれ」と言ったろころで突撃してきた警察官に銃殺される。ここで第一パート終了。

第二パートは銃殺した警察官クロス(ブラッドレー・クーパー)の苦悩から始まる。一躍地元の英雄となった彼だったが、殺した強盗犯人に自分の息子と同じ年の息子がいる事を知る。父親のいないその子供の事を思うと銃撃で受けた怪我もあってか現場復帰もおくれる。そんな時に同僚達が自宅を訪ねてくる。彼を妻のもとから何とか適当な事を言って抜け出させ向かったところがなんとルークの恋人ロミーナの自宅。警察はルークがロミーナの家には銀行強盗で得た金が確実に有ると思っていたので権力を行使しその金を横領しようとしたのである。クロスはあり得ない同僚の言動にあきれていたがその場ではその手伝わされることに。金は結局息子が寝ているベビーベットの下にあり、同僚が探している間、クロスはその息子を抱かされるが、心境複雑である。同僚はクロスにも「ライオンズシェア」といってその金を渡すが、結局法律を学んで正義感の強いクロスは上のニンゲンに報告するも無視、というか自分の警察署での立場が逆に危うくなる。クロスは遺留品の中からルークとロミーナ、息子がうつった写真を見つけその写真をそっとポケットに入れる。その後クロスはコカイン不正入手を頼んできた同僚との会話をレコーディングしそのテープを手に弁護士にアシスタントとして働かせてくれる事を頼み受け入れられる。ここでパートツー終了。

第三パートはルークとクロスの息子達が偶然同じ学校で仲良くなる事から始まる。クロスは成功し選挙に出馬していたが、クロスの息子AJは絵に描いたようなどら息子で、ルークの息子ジェイソンをクスリを勧める等して、結局二人は警察に捕まる。クロスの力で二人とも何とか釈放されたがそこでクロスはジェイソンがルークの息子である事に気がつく。色々あって(書くのつかれちゃった、、、☆)ジェイソンの父親の事、バイクの事、ルークを殺した警察官の事等を知り、怒りが押さえられず、銃を持ってクロス宅へ。クロスを車で誘拐し山の中へ誘導。まあ銃の使い方も知らないような子供なんだけど、クロスは言う事を聞いていたが、そこで泣きながらジェイソンにルークを殺した頃を謝罪する。驚いたジェイソンは財布だけもって逃げるのだけど、財布の中には金と一緒にクロスが遺留品から抜き出した写真が入っていた。

ジェイソンは家を出て旅に出て、バイクも購入しアメリカの大地を駆ける。また彼は母親に例の写真を郵送する。一方AJも選挙で勝った父親のそばで誇らしげにクロスを見つめていた。

全部内容書いちゃったけど、全体を通して美しいアメリカの森と移り変わる人間ドラマというものが有る意味対比されているようで印象深い映画だったような気がする。一人一人の苦悩や悲しみというものがどこかで繋がっていて、それが結局最終的には明日へという未来に繋がる、というような感じが見ていて感じられともすれば暗い映画になりそうなところだけど、映像美とともにキレイにまとまっていたと思う。時代のながれってものが与えるものっているいうのはやはり大きいですね。

昨日寝るのにも飽きたので見た映画は「Behind the Candelabra」というマイケル・ダグラス、マッド・デイモンの最新作。

リベラーチというアメリカのピアニストのゲイであった真実とその関係性を映画いた作品で色々と笑えるところがあって面白い映画だった。リベラーチは調べてみると60年代から80年代に活躍した天才ピアニストでエンターテイナーだったよう。

This is the trailer.

これが実物のリベラーチ。

映画にも出てくるこのブギウギのシーン。本当に笑ってしまう。

彼は結局AIDSで亡くなるんだけど、それ以前はマッドが演じたスコットと訴訟沙汰になったりして大変だったみたいね。でも終始一貫してゲイである事は否定していたみたいだけど。

今日はグレードギャツビーでもみるか、、、。